2008年3月21日金曜日

いい加減なうた

今回の舞台「ソケリッサ!!」~いい加減なうたの章~において、
会場に足を運んでいただいた皆さんに、
この場を借りて心より感謝を伝えたいと思います。

又、非常にたくさんの方に興味を持っていただき、取材及び、
宣伝に協力をしていただいた事に感謝しています。

ありがとうございました。


まずは、本番を経た感想・・

ちなみに、おじさん達は、
「よかった」 「たのしめました」 「すっきりした」 「おわった」
このような一言でした。

端的です。

おじさん達の発言、行動を見ていると、ふと見えるモノがよくあります。



都会で生活を営む人が、山や自然のある場所に、息抜きなり旅行に行くとします。

よくある光景です。

そして景色を堪能し、風を感じ、空気のにおいを嗅いで、
日常なじみない自然を全身で感じようとします。

もちろん悪い事ではありません。当たり前とも言えるでしょう。

しかし山や自然の中で暮らしを営む人は、自然を堪能しよう、空気が美味しい、等いちいち毎日感じているようには見えません。

そこにただシンプルに暮らし、無理なく存在しているだけに見えます。
そこで過剰な行動も、違和感もなく振舞う事ができます。

当たり前といえばそこまでですが・・



つまりシンプルに生き難い現代、つまり都市生活の中で、
人は知らずに常にどこか力を入れて、ニュートラルでなくなってしまう気がします。

したがって感じようとがんばってしまう・・

自然の一部として存在する事が難しいのです。
(人間も特別でなく自然の一部だと思っています)


もちろんこれだけで、全てを語るつもりもありません。

ホームレス境遇者が良し悪しの展開にはしませんが、
おじさん達に、社会のシステムに縛られていない一端のようなものを感じたことは確かです。



ここで話は戻ります。

さて自分の感想は、おじさん達の軽い感想より重くするのはしゃくなので、
上にある、おじさん達の感想を足し、

「よのきりた」でいきます。

「不真面目」「わからない」と言われます・・


本題です

・・・マジメな話、現在人が使用している言葉だけで、すべてが伝わっているとは思えず、
気持ちを的確に伝えようとすると、このようになるのはどうでしょう?

これがいい加減なうた、です。
マジメに、いい加減を謳うです。

500~600万年前に誕生したといわれる人類、
そして西暦においてはたかだか2000年そこそこです。
人間の歴史はこれからまだまだ何千年と続くはずです・・さて死ぬまでが区切りでしょうか?

その、そこそこでの確立している常識を疑えば、「よのきりた」という表現もありでしょう。



人間はこれで完成だと思う事はきけんです。

つまり2000年そこそこの歴史(文献)や常識が全てであるはずもなく、
もっともっと自由で、可能性がまだまだあるはずです。

自分の作品は、この部分がくっきます。
つまり常識の範疇ではわかりにくい作品となるかもしれません。

しかし自分は人間の可能性を停滞させるつもりは無く、
今ある常識だけで、物事すべてをまとめる事は人にとってどうなのか・・

今ある常識だけで、人間を表現する事は無理があるのではないか、と思っています。

もちろん何が適しているかまだまだわかりません。表現法も無限です。



1000年先、世の中はどうなのか?

幸せのネバーランドが展開していれば、日常の会話はすべて歌になっているでしょう。

そのくらいでいいのです。



哲学的になってきますが・・


人生は目を閉じて歩いているようなもので、
何も無い道なのに、先に障害物や何かが
潜んでいるという錯覚に陥っているような気がします。

感覚に冷静に対処をし、物事にとらわれ過ぎない
ニュートラルな状況にいようと思います。

今日の状況のなかを”前進し”無理なく生きること、
そしてその時代の環境で生まれる感覚を表現をする事が自然な気がします。

「ソケリッサ!!」~いい加減な謳の章~はそこから生まれました。

今の時代だからこの作品が生まれたと思います。



苦労話でも書けばいいのですが、忘れました。


最後に・・

本番中はおじさん達は間違いなく主役であり、
社会でのとても脇役の日常とは、本当に対極の状況でした。

そこで生まれ出てくるものは何か?


こちらの答えもなかなか単純なものではなく、
自分に明確に答える事は出来ません・・

もちろん何かが生まれ、変化はしている気はします。

ただ言える事は、その空間にお客さんと自分が一緒に存在をして、
それぞれ何かを感じていることです。

そして生まれ出てくるものは何か?

そこは一番の興味でした。


そして作品にはいわゆるアオキ裕キの色、そして表現をする人間それぞれの色、があり、
そしてその作品全体を、観客は自身の色とともに鑑賞します。

その両者の混ざり合った色はさまざまで、
色にはにおいや温度も備わっている場合があるかもしれません。


それが心地良い色になっていれば、うれしく思います。

作品を観ていただいた方の力強い声は、作品に関わった全員の力になります。

ありがとうございました。



シンプルでは無い話になってしまいました・・

「よのきりた」

がやはりちょうど良い感覚です。

※宮崎による代理投稿。執筆はアオキ裕キ

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