2008年6月18日水曜日

プールサイドストーリー

まず夢の話。

その夢は子供達とプールサイドで踊っているところから始まった。
おそらく皆小学生位で50人以上はいた。
自分と一緒になって踊っている子供、プールに入る子供、
周りを走り回る子供など皆楽しそうだった。

ただ一つ違和感を感じる設定は、
あの話題の競泳水着のフルスーツ姿であること。
断っておくが幼児趣味があるわけでもない。
もちろん水着に関してはニュースの影響は間違いない。

そのうち一緒に踊っていた男の子が一人、
プールに自分を投げ入れて遊んで欲しいとせがんできた。
自分の中には小さい頃そうやって父親に投げ入れてもらった記憶があり、
なかなかスリルがあって楽しかった思い出が残っている。

自分はその男の子を持ち上げた。
軽くはないが投げられない重さではない。
自分は強く押し出してプールサイドから投げ入れた。

ところがその男の子は、力配分での着水イメージ地点を越して
ぴゅーっとまんがのように空を飛んで行き、
なんと反対側のプールサイドに落ちてしまった。

残酷な展開にあわてて駆け寄ると、
男の子は25m以上は飛んで落ちたにもかかわらず
かすり傷ひとつない。まさしく夢の中である。

そして男の子は目を白黒させながら、
「この水着は飛ぶんだ」と教えてくれた。


飛ぶらしい。

しかし夢ほど意識下のコントロールのきかない世界は無い。
その展開や演出はまことに驚くべき時がある。

子供達とのプールサイドダンスは、
太極拳のようなパンチのくり返しでおもしろかったが、
それ程の振り付けといえるものでは無かった。

しかし現実の世界では想像の出来ない動きや、
演出は大いに参考に値する。

それにしても子供達が皆あの有名な
競泳水着のフルスーツを着用している光景は強烈であった。
あの競泳水着のネーミングには空を飛んでいくような
イメージを持っていたのかも知れない。

日常において、人が身体を動かす場合、
習慣的な動きほど無意識に体を使用している
(無意識のうちに命令を送る)。

踊りの場合は実は結構忙しい。空間を意識したり、
指の先まで命令を送ったり、無意識を、
意識を持って演出したりと内側ではめまぐるしく
状況が変わっていくのを感じる。

何はともあれ、無意識に作り上げられるもう一つの世界は、
自分にとって大きな刺激になっている。

現実の自分の目の前だけの世界は、
実は、とてもちっぽけなのである。

さて、ここで前回の続きだが、
インドから帰ってきてやりたくなった事の一つである
体を使った仕事への興味の実現についてである。

インドの物乞いをして暮らす人たちを見て思ったのだが、
日本では家が無くなっても仕事がなくなっても食べることは可能である
。いわゆる炊き出しや廃棄食料の多さなどで比較的に
ホームレス境遇といえども体格がよかったりする。

自分が興味を感じたのは力車の自転車を漕ぐおじさん達や、
目前に集まってくる物乞いの人たちの生きるエネルギーであった。
あのギラギラした眼は浅黒い肌もあいなって一層強さを増す光であった。

死ぬまで自転車を漕ぐと言っていたおじいさんの
自転車を漕いで出来上がった無駄のない体型。
そして少しでも収入を増やそうとする浅ましく思える程のエネルギー。

とにかくその身体全体から発する説得力は嫌でも目を奪い、
存在は自分の内に響いてくる。

又、鋭い眼光でこちらを見つめ、
その視線を逸らすことなく手を差し出し、
施しを待つ物乞いの人達。ルピーを受け取ることができると
彼らは礼を言わず遠ざかる。

カースト制度により最下層の生活を強いられてきた彼らの
物乞いをする行為は、自分の目には明らかに労働に映る。

生きることに対して常に向き合う彼らの圧倒的な存在感と
その背負う歴史もろとも、骨格の浮き上がった痩せ細った
身体で土の上にふわり立っている。




さて働くと言うことに対して自分はどういうイメージを持ち、
そこに何を期待しているのか…。



日本社会に密接した肉体労働を体感し、
そこで得る物は何か…?と体裁よく文面には表現できるが、
ここのところ出費がかさんだのでアルバイトをしてみようという展開である。
冷やかしではなく結構真剣に取り組んだ。

アルバイト自体は飲食店のウエイターや皿洗い、
窓ふきにビル掃除、チラシ配りやスキー場、民宿、
日焼けサロンでの店員まで…かなりの職種はこなしている。
しかし、10年前のことで現在の自分の感覚とは違いもある。

2種類やってみた。

一つ目は空カンやビン、ペットボトル等、
いわゆる不燃ゴミの仕分けである。

街中や家庭などより収集されてきた不燃ゴミには
分別とはほど遠いものがまだ山のようにある事にまず驚く。
働いているのは年配者が多く、食べ残しや飲み残し、炎天下の中、
腐臭や汚れや汗にまみれ、黙々と作業をこなす。

若者はなかなか続かず、外国人を雇う現場も多いらしい。
そこは15人程の現場であり、20代はほとんどいない。
見たところ30代が半数で残りは50~60代後半までいるように見える。

長時間かがんで硬くなりのびづらくなった腰は、
食べるための大事な仕事というプライドで形つくられたものである。

50歳だと言ったおじさんは、むかしは建築デザイナーであったと話していた。
この仕事をやらせてもらえる事に感謝しているとのこと。
趣味はクラッシックギターであるが、仕事で指が硬くなり弾きづらくなってきたと言う。
しかし、無骨なひびきこそこのおじさんの曲である。



それにしてもこの仕事は苛酷で鼻の穴まで汚れにまみれ、
作業着は迷彩服に替わる。

日暮れまで働き、山積みの不燃ゴミの重さは
日給8000円という金額の重さになる。


もうひとつは荷物の仕分け作業である。


1日7000円程で、業界でもトップクラスに入る宅急便を扱う
この会社はシステムもすばらしく、ベルトコンベアの上に
流れてくる荷物量はとめどない。

間違いなく重労働であり、ゴミの仕分けよりも年齢層は断然若い。
アルバイトにおいては20代後半が多く高校生も働いている。
一般的な社会の一部がありそしてそこに自分の予想をしたリアリティがあった。

それは特別なことでは全くなく、生きる余裕のようなものである。
つまり生きることに対して常に向き合う必要はないわけであり、
仕事に執着するまでもなく、別の仕事でもかまわないともいえる。
もちろん仕事もきちんとこなし、成果も上げている。
誇りを持ち働く人もいる。

ここだけではない社会に広がる空気はその匂いであり特異ではない。

もし仮にギラギラと痩せ細り生きることに誰もがどん欲であれば、
自分は逆に存在感を持たない人に対してあこがれと
興味が大きくふくらむのかもしれない。

とにかく理想だけではすべてを収めることの
できない複雑さが人にはあり、簡単に良い悪いとはい言えない。



働くという行為に自分は何を求めているのだろう…。


これらのアルバイトは6月で終わる。
もの覚えのおそい自分はやっと慣れてこなせてきたくらいではあるが、
7月は一ヶ月間子供に踊りを教えることにもなり、展開に楽しみができた。

ーーー

実は、宅急便の荷物を強く押し出す動きが、
何か心の片隅に少し引っかかっていた。

今、判った。

夢の中で子供をプールに投げる動作と同じ感覚であった。

夢の潜在力はいい。








今回はこのへんで。

※宮崎による代理投稿。執筆はアオキ裕キ