2008年7月16日水曜日

スポンジしぼり

注射が嫌いである。

8月より一ヶ月間、ブラジルにてダンス公演を行う。
2008年は日本人ブラジル移住100周年にあたり、
ブラジルとの文化交流として主要都市を廻る。

以前、東京の青山円形劇場でも行った作品で
「現代舞踏」の加藤みや子さん演出の「笑う土」に参加する。

実はブラジル熱帯地方に黄熱病の発症者が確認され、
渡航において予防注射を勧められた。まよう。


注射が平気な人には笑い事であるが、
告白すれば、自分は注射を打つと気絶してしまうのである。



始まりは高校時代。ボランティア意識の目覚めた献血の時である。
とにかく初献血を終えるやいなや目の前が白い世界に変わり、
気がつくと献血バスのベッドに寝ていた。

その日はたまたま体調が悪かったのか、
注射経験は以前にもあったが、それ以来の特異状況なのである。
その後は20代にピアスの穴空け、腕のタトゥー、
親知らずを抜く時の麻酔と全ての針に身体はことごとく反応し、
ことごとくその場で意識を失った。

おととしは腰を痛め、不安ながらも針治療に行ってみたのだが、
見事に体は針を拒み、目の前は白い世界に包まれていった。


トラウマである。

気を失うのは血を抜くことでの貧血によるものではなく、
体に突き刺さる尖った針に対しての体の記憶なのだ。

記憶は時間の経過とともに薄まっていると感じるが、
身体の真相の部分にはしっかり残っているのである。


・・・そのつながりで印象深い話を二つ。

一つは2001年のNY同時多発テロの経験。
そのときはNYに単身で半年ほど滞在しており、
色々な意味で踊りの転機の時である。
その日の朝、ハーレムに住んでいた自分は
ルームシェアのアメリカ人カサンにたたき起こされてその事件をTVで目にした。

身近でのあの出来事はかなり強烈であり、
カサンにしてみれば自国のこと。自分の何倍ものショックであり、
彼の半ばパニック的な心情は痛烈に伝わった。

彼は黒人ミュージシャンで、どちらかといえば物静かに
ピアノを弾くタイプであったが次の日から急に
何本もコメディ映画を借りるようになり、夜な夜な大声で
笑って観ていたのは印象深く、忘れない光景である。

自分も一緒にMrビーンを観ていた。

カサンの行動は当事者の象徴的行動の一つであったし、
国全体が大きく変わった瞬間を痛烈に肌で感じた。

その日からつい最近まで飛行機の墜落する夢を見ることがあった。
何でも結びつけるつもりはないが、リアリティーさは
無関係には思えないほどで、
カサンにはもっと強い形で残っているはずである。



次に、懐かないうさぎの話につながる。
現在自分の家には、猫のハナの他にうさぎのクロとチャイロが生活している。
懐かないのはクロのことで、その名の通り体毛は黒で
年の舞台「ソケリッサ!」の出演者である。

ペットショップで購入したときは片手に載る大きさで、
携帯できるピアノの鍵盤の上に檻を作りその中で自由に動いてもらった。
つまり舞台では彼の動くことで鍵盤の音がなり、
その即興ミュージックと供に自分が踊るという状況である。

その演奏はチャイロと共に二匹とも情緒があり、
ぜひまた共演したいと思っていたのだが、
悲しい事にクロは自分に懐いていない。

実は不注意で猫のハナがクロに傷を負わせ、
その傷が化膿してかなり大がかりな事になってしまった。
ネコはうさぎを補食しないと浅はかさがあったのだろう。

もちろん捕食はしないのだが、ネコの本能で戯れるのである。
一見柵から出たうさぎと仲良くしているようには思えたのだが、
そこには弱肉強食の世界がしっかり存在し明らかに
今までとは違う空気が張りつめており、
今までの柵を隔てた緩慢な目つきはお互いになかった。



動物は人に飼われる場合、区切られた場所に保護される。
そこでは生存する必然のために備わった個々の特性、
強烈な生命エネルギーは行き場を失い、別の動物へと変わる。
本能を押さえ込まれると、DNAレベルではいかなる心境なのだろうか。

以上の思考は現在の回想の中での展開であり、
傷ついたうさぎに対して正当化をしている訳では無い。
とにかく動物病院では獣医師にこっぴどくしかられた。
猫用のおもちゃはうさぎの毛で作られることも多く、
仲良くなることはありえないとの事である。

正にその通りであり、利己主義が招いた出来事には本当に深く反省している…。

化膿している部位を削除する手術をして、一ヶ月入院、
傷が治るまで三ヶ月通院し、今では食欲も旺盛でハナ並の大きさにまでなった。

しかし明らかに触られる事に対しての反応は以前とは全く違いがあり、
体を抱えると置物のように硬直する。
さんざん体を触られ恐怖を感じた訳である。




「トラウマ」「精神的外傷」を広辞苑で引く。
「精神に持続的な影響を与える原因となる心理的ショック」とある。

次に「精神」で引く。
「1:(物質、肉体に対して)心、意識」
「2:知性的、理性的な能動的、目的意識な心の動き。根気。気力」
…以下、省略

トラウマは、心・意識に大きく影響する要因であり、
良かれ悪しかれ、強烈な心理的ショックは人間形成の
大きな要因なのである。

つまり人間本来の生命エネルギーにおける
優れた芸術はトラウマを与えるべきものである。

これは別に大げさでもない。

7月より子供に踊りを教え始めた。
子供達は眩い新しいスポンジであり、吸収力は抜群である。
やはり大人との大きな違いは吸収力であり、
くたくたに吸い込みきったスポンジの大人はたくさんいる。
(なにげなくそのくたくたのスポンジをもつ大人が好きなのだが…)

何を教えるべきか?
本当におもしろいと思える将来の踊りの形は何か?

それは、自分の汗水流して創りあげた芸術を
一瞬でくつがえす踊り…。


それができれば最高である。

つまりそれは目の前にない事を教えるべきであり、
そこには今の常識も鼻息で飛ばしてくつがえす力をもつ
人間が笑っているのである。

予想を裏切られることは楽しい。
どんな大人にしろ、赤ん坊から人生は始まり、
生まれたときはフレッシュなスポンジである。

産声を上げた瞬間からそのスポンジには現代社会侵攻が始まり、
どんどん吸収されていく。10代ともなれば明らかに
それぞれの10年間はスポンジに見える。

将来はどんな大人になっているのか判らない。



今はトラウマを与えること。


自分は一緒にそれを楽しむのである。





ではこのへんで…。

※宮崎による代理投稿。執筆はアオキ裕キ

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