2008年11月12日水曜日

裸天国

まず風呂の話。

一般に風呂の中でひらめく事が多いと良く言うが、自分もそうだ。
企画、作品構成、振り付け等、風呂場でふと生まれることがある。

自分が風呂に入る時には、飼い猫のハナも付いてきて湯船の縁に座る。
そして湯船の中でぼんやりしている自分を、ハナはぼんやり見つめてくる。
つまり湯船の中と湯船の縁で、波打つ水音のみの密室の静寂の中、
お互いぼんやり向き合いじっとしているのである。

かなりゆるやかな空間である。

そこであらためてぼんやり猫を観察し、毛皮に包まれた体に目をやり、
あらためて猫も裸であるということを思う。
そこでは、猫と自分の裸の付き合いが展開している。
もちろんハナは何を考えているのかは判らない。

話の流れでまず大事なことは、人間側が”裸”であるという方なのだが、

これがリビング等の密室で一人裸でいても、
あまりひらめきがあるようには思えない。(やったことはない)
おそらく一般的に、衣服をまとっているのが適当な場所、
という状況での裸は、100%のリラックス感が得られるとはあまり思えない。

だが風呂においては裸は当然であり、
束縛も何もかも自然に脱ぎ去っているのである。

この自由と開放感とともに、誰にも邪魔されることなく
ぼんやりと湯に漂っている時間にこそ、
何か新しいものが生まれやすい、というのは確かにうなづける。
身体の開放なくしては、思考の開放もないといった所だろうか。

ここで猫の裸の方に戻るが、大きく違うのは、
とにかく猫はところ構わず裸である。
人間以外の動物は皆そうであるが、
彼らはどこにいようと裸であることににまったく抵抗はない。
屋外を元気よく走り回るハナの姿は、
開放感で喜びに包まれているようにさえ見えてくる。

「ニャオ」は「サイコー」と聞こえる。

踊りにおける裸であるが、当然ながら日常の感覚とは別になる。
自分は人前で踊る時、場所に寄らず裸で踊ることはよくある。
その場合、下はズボンや布をまとっているスタイルで、
手っ取り早い衣装という考えであるが、
確かに動物的表現に近づこうとする工程の一つなのかもしれない。

ちなみに全裸の場合、日本においては公然わいせつ罪の
適用可能性がある。それが芸術表現であろうとも
公けで全裸での表現は、観客が芸術とみなす保証も無く、
又、一般人々の通常の性的羞恥心を害する危険は免れないと、
そのような理由である。

もちろんこれはあくまでも法律の名目上であり、自分の観劇した内、
又、知る限りのダンス芸術作品では被害届が出た事も、
罰せられたことも耳にしていない。

路上における踊りで、必然性なく全裸になり
開放感に包まれていれば法的にまずアウトではあるが、
芸術的必然性の上において、
全裸で踊る感覚自体は表現者として興味はある。

そこでストリップの話になる。

何度か目にする機会があったが、
これは風俗だと簡単にわいせつ表現としてくくられる事に違和感がある。
いわゆる踊り子さんの中には、
芸術的意識がすばらしい人も少数ながら見受けられ、
その表現には、雑な卑猥さは無く、
とにかく純粋に美しいのである。

いささか皆最初に衣服を着て2曲踊るという
同じような演出パターンには疑問があるのだが、
絵画や彫刻にはない、
息遣いの美しさはまぎれない芸術であった。

そこには仕事としての自信とともに、
裸になる自然な流れがあるのかもしれない。
ストリップ小屋のもつ哀愁の香り漂う
空間は又独特でなんともいい。

人そのものがにじみ出る、
隠しようのない部分に美しさはあり、
女性の美しさという社会認識は、
芸術としてのストリップが確立されれば、変わる気がする。
アンチエイジング!と、外身にとらわれた
若返りに奔走しなくなるかもしれない。



最近自分が空を飛ぶ夢をあまり見なくなった。
飛ぶ夢だけにかかわらず、突拍子のない夢をみることも減ってきた。
だんだん現実的な夢を見る割合が多くなってきたのである。
生徒の小学生の子供達に聞くと、
空を飛ぶ夢はよく見ているという割合は多い。

現実の規則や、日常の当たり前の展開が夢の中にまで支配してくる日は、
寝ていても頭の中が固まってしまっているようで、残念に思えてしまう。
現実を知っていく上では仕方がないのだろうか?

考え事は風呂ではなく、眠って起きるとひらめく人もいる。
そういう人はしっかりと開放して眠ることができるのだ。


自分は苦しい夢をみたり、なかなか質の良い眠りが出来ずに
夜中に目を覚ますこともよくある。
すると胸の上に猫のハナが心地よく寝ているのである。

裸で走り回る動物達と同じように、自分達は裸ではなかなか走れない。
毛皮を捨て衣服をまとう道を選んだのである。

しかし創造性も何もかもすべて隠してしまう方向に進まないように。




自由なハナを見るとそう思う。

※宮崎による代理投稿。執筆はアオキ裕キ