2009年7月23日木曜日

森の踊り




最近、おじさん達と公園で踊っている。


たくさんの人にソケリッサを観てもらうう事が、今年の目標で、
公園以外にも色んな場所で、予定をしている。

おじさん達は、いわゆる踊りの技術といわれるものは無い、
素人であり、地味である、音も鳥がさえずっている中、
流木や鉄を叩くのみで、一人ずつ淡々と踊る。
私が述べるのもなんだが、端から見れば何かの呪術的な
儀式をしている団体に見えなくも無い。
近くに来れば結構懸命に表現をしているおじさん達を
じっくり見ることが出来て面白いのだが・・

ホームレスであるという状況ではあるが、
「俺達は大変だよ!」
という踊りではなく、”森の踊り”を単純に踊る。

「泥ひよこ」や、「全身チューリップ」、「はねるオオアリ」等
踊る空間にそぐう力強いモチーフを架空に作り上げ、
それをそれぞれのイメージや、骨格の及ぶ動きで創造して振り付ける。

単純に、身体表現の力つよさ、歴史ある骨格をシンプルに提供し、
森の踊りを作っている。とにかくたくさんの人に来て欲しい。

土の上は気持ち良い。




ある出来事を一つ・・

今から8年前、ニューヨークの地下鉄に乗っていた時のこと、
車内へ乗り込んできた黒人の若者が一人、アカペラで歌いだした。

彼のソプラノは、地下鉄の騒音の中、とてもか細い声だが魅力的だった。
まばらな客に向かい、揺れる車内でポールにしがみ付いて歌う姿と声は、
(ブルースのようであったが)歌を知らなくとも心に強く響いてきた。

夕暮れの蒸し暑い車内、乗客にも華やかな印象はあまり無いし
マンハッタンの中心部を離れ、ハーレムの方になれば、
正直貧しさがあり、安心できる環境とは言いがたくなる。
数名のまばらな車内、若者グループもいたが皆聞き入り静かだった。

はたして彼はアマチュアか、有名なプロシンガーかどうかはわからないが、
そこで響く彼の歌、姿、空間。

その芸術は、とにかく印象が強かった・・

当時、私はとにかく海外のダンスはどんなものがあるのか、
新しい刺激、新しい技術をもっと習得したという気持ちでいっぱいで
約半年の滞在、毎日ワークショップをはしごし、小劇場のパフォーマンス
から有名ミュージカル、写真展、美術館から博物館、
芸術に関するものはとにかく見た。

とにかく刺激や情報が溢れ返っているといった
その状況に私自身は酔っていた気がするし、
カタチをたくさん集めることにのみ終始していたのかも知れない。

もちろん地下鉄や、駅構内のストリートパフォーマンスは海外ではさほど
珍しい光景ではない、しかしその時の彼の芸術は、自分の状況には
眩しい瞬間だった。

貧困の中、芸術に触れられない人が、芸術に触れることは価値がある
とも感じたし、ソケリッサの始まるきっかけの一要因かもしれない。

それからその数日後に、同時多発テロが起こった。

自分の無力を感じる瞬間は確かにつらい、
しかしその先には次にやるべきものが、必ずはっきりと現れる。



さて、おじさん達は何を思って踊るのか・・
ソケリッサはやはり、たくさんの人に是非とも見て欲しい。



今回はこの辺で

1 件のコメント:

  1. ストリートパフォーマーは東京でも目にするようになりましたが、電車の中で、というのは見たことありません。
    NYは刺激的ですね。
    行ってみたくなりました。

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