2010年4月18日日曜日

リラックス講座

いつも踊りを踊る前には寝転んでぼーっとする
思考を無くし、植物のようにただ呼吸をしている状態で
しばらくぼんやり・・

外側の世界に目を向けるのではなく
自分の内側の世界に目を向ける時間をつくる。

それから身体を動かすのである。


それにしてもこの目まぐるしい日常生活は当然のように
衰える気配は無い、社会に密接して働く状況では、
自分の身体に目を向けることは二の次になり
どうしても仕事や、社会の移り変わりといった方に
気がいくことの方が増えてしまう


我々は自分自身をコントロールして
人と出会いリアクションをする
人前で踊る時に、晩御飯のメニューを考えていたり
猫の餌やりを忘れたことを悔やんでいてはまずい
それならば晩御飯の踊りや、猫の餌やりダンスをすれば
良いのであるが

とにかく内面と外面は同じ方向を向いていなくては
その表現は単なる形式であり、そこには魂も
何も存在しない、もはやどうでもいいものになる。
人には何も伝わらないものになる。

内面と外面がしっかりとリンクをして生きることは
我々にどう影響してくるのであろうか?

日常生活で言えば心のこもっていない状態
つまり感謝のないおじぎや、尊敬のない褒め言葉など
一見心の内では違っても形がしっかり出来ていれば、
その瞬間は解らないかもしれない。

しかし内面と外面のズレは我々の身体にとって
ストレスとなる。思考、感情、意識、肉体
総てをひっくるめて身体なのである。
外側だけで体裁をとる事は必ず身体に変調を
きたしてしまう。緊張で腹痛になったり、
恥ずかしくて頬がほてったり、恋をして
胸がキリキリなんてのはおそらく誰しも経験があり
身体の内と外は驚くほど強烈に密接である

内面と外面をリンクさせる。
自分本位で怒ってばかりいるのはまずいが
頭にくれば態度に出せる方がまだ良い

それにしても人間とは本当に大変である
二足歩行をするようになったおかげで
日常生活では、常に人は重力に反発し
前後にバランスを取りながら行動し、
重い頭を支えている。
(これはすごい事である。)
その上思考が発達し、仕事、生活、人間関係、
健康、何かと休めることなく考え事をして
頭を悩ませている・・
これでは身体の負担が多いのは当然だ



大雑把だが、筋肉は緊張と緩和の
二種類の運動しかしない
ぼんやり寝ころんで、ふーんと空気を吐いていけば
筋肉のゆるみが解る。
筋肉のゆるみは内面のゆるみにつながる事であり
本来の身体のリラックスを目指す。仮に様々な思考が
頭の中に浮かんでも、そこに追従せず、放っておくこと
自分の心臓の鼓動を感じ、その鼓動が速かろうが、
身体がリラックスしなかろうが、そのまま認識する
のみである。いけないのは、思い描くリラックスという
イメージ通りにリラックスできない・・うーん
などと我が身を攻めることである。
そうなるとそこに思考や感情が持ち上がってくる
とりあえず過去も先も何も考えず感情も切り離す。
ネガティブな感情はゆったりとした呼吸を妨げる。

ぼんやり見える景色、空気の匂い、聞こえてくる音
何かに接触している皮膚の感触もあるだろう、
心臓の鼓動、脈、呼吸等・・
それらをただぼんやり受け入れるのみである。

もちろんなかなか身体をゆるめることが
困難な人も当然いる。理由は様々だが
強度に心配事やプレッシャーに囲まれ
生活をしていたり緊張が常になると
緩める感覚は認識しづらくなる
硬い身体を柔軟でやわらかくするというよりも、
リラックスをするという感覚である
筋肉をゆるめるという感じで捉えた方が良い
緩めないから硬くなると捉えるのだ。

ちなみに踊りの場合も身体が硬くて
踊れないことはない、そこにはその人の身体
の歴史が見えてくる説得力はある
(ソケリッサの見せ方の一つもそこにあるのだろう
しかしもう4年も踊っているおじさん達においては
すっかりリラックスをして動くようになってきた・・。)

筋肉は動かさないでいると脳がどんどん動かさなくても
良いのだと判断して、血液の流れを止めようとして
しまうらしい・・動かさないとまずい

ゆる体操で有名な運動科学総合研究所の
高岡英夫さんはとにかく身体をゆらゆらゆらす、
それが身体にとっては良いのだ。
同感です。
子どもを見ていると片時もじっとせずなにやら
動いている。これは身体の自然な命令なのだ
動かない方が逆に身体が疲れてしまう
エネルギーを溜めずにどんどん放出しているのが
わかる。子どもは動き回って健康であり、
「大人しくなさい!」と常に押さえるには無理がある。
同時に、重力に対してバランスを取りきれない
弱い筋肉では動くことで均等に筋力を上げ
ボディバランスを作り上げていくのだろう

筋肉の緩和がなければ転んだり、
怪我をしやすいのはもちろんだが
身体は疲れやすくなり、どうも自身を開放しきれない
言い換えれば、開放しきれないから緩和が出来ない
エネルギーは大人も当然開放しなくてはならなが
日本の状況に関しては、閉塞感が依然立ち込める


それにしても世界で1、2の豊かさを持つ日本なのだが、
自ら命を落とす数はアメリカの2倍
しかも動機の一位が健康による悩みである。
良い暮らしをし、良いものを食べてもこの傾向は
バランスが悪いの何者でもない。

現代人が江戸時代、真剣勝負に挑めば
がちがちの緊張した筋肉で刀を振りかぶった
その瞬間に動きは読まれ、いとも簡単に
ばっさり切られてしまう
生きるためには力まず緩めるということ

生命体はやはり自然体であるべきなのだ。
人間は大変なのだがそうあるべきである。

時に草木のようになるのも良い


さてHOWto本のようになったが
最後にもう一度くりかえすと

思考、感情、意識、肉体を一度分離をする
そしてもう一度まとめることは重要である。
そうすれば自分自身が少しはコントロール
しやすくなるはずである。
外に向けてる目をたまには内に向ける
そして自分の状況を模倣せずに
「なるほど・・今はこんな感じなのか」
と知ることである

飼い猫のハナが傍にいて
窓の景色をぼんやり見ている
身体をなでてみる・・
こりも無く、すばらしい肉体である

余計なとりつくろう前置きも無い

「にゃあ」で総て済ませることが出来る





今回はこの辺で・・



読み返すと、以前の「憂鬱なカラダ」の内容も、
同じような身体のバランスの話・・
まあ今回はそれを掘り下げた内容なので、良しとして下さい。

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