2012年11月3日土曜日

静岡ワークショップ 後編 ~市民ダンスとつながりの考察~



静岡ワークショップ、20日の後半は静岡市民文化会館での男性限定ワークショップ、翌21日は一般対象のワークショップへと続きます。

静岡文化会館は数年前よりJCDNと協力して振付家を呼び、一般参加者を募ってダンスワークショップを行っています。2011年からはコミュニティダンスプロジェクトと銘打ち、一般の参加者と数ヶ月間のワークショップ後、舞台公演を行いました。そして企画に興味を持って集まった一般の参加者は企画後に終息することなくコアメンバーを確立し、そのコアメンバー中心の元、地方での舞台公演企画への参加へ展開、今では実行委員会が立ち上がっています。今では団体自ら働きかけ振付家を呼びワークショップを行う展開へと進んでいることです。

素晴らしいのはいずれは団体独自による企画、振り付け作品制作を行い、最終的な手直しに振付家の手を借りる形まで行けるよう目指すなど、自立した意識を持っており、これは企画発案者、関係者の理想とする、ダンス芸術の力が大いに浸透した形だといえると思います。おそらくここまで市民参加者の意識を持っていった、今までワークショップを行ってきた振付師の方たち、静岡文化会館とコーディネートをするJCDNとの連携他、関係者の力量と功労を感じます。

そのエネルギー溢れる意識を感じながら、20日の後半に行われた男性限定のワークショップには20歳代前半~60歳代の8名が訪れてくれました。市民ダンサーとして活躍中のメンバーから、初経験者も数人います。また格闘技の段を持っていたり、会社員、デザイナーなどさまざまな職種と、それぞれの体つき・・そこから生み出した個々の発表する踊りはそこで終えるのが惜しいほどでした。とにかく顔が良い。その懸命に身体に向き合う姿を見ているとダンスにおける人間の魅力の向上、生活向上力などあらためて感じます。やはりダンサーにならずともたくさんの方にダンスを体験していただき、芸術と日常のつながりを体感してもらいたいです。ダンスの意義を感じます。


私がコミュニティダンスという名前を聞いたのが2010年、JCDN(ジャパンコンテンポラリーダンスネットワーク)の佐東さんからでした。ソケリッサ!の大阪公演に観に来て頂き、そこからお話を聞かせてもらったのが最初です。
コミュニティダンスとはダンスが貧富の差や、年齢、性別、障害の有無にとらわれることがなく、あらゆる人が楽しみ、暮らしの向上、人間育成の手助けを行うという活動です。英国ではコミュニティダンスの財団があり、既にシステム化が大きく進みほとんどのアーチストはコミュニテイ活動と作品の創作活動の両立を行っているようです。日本では学校や、障害施設にて活動しているアーチストと、作品創作を創作を主としているアーチストは少し離れている印象はありましたが、最近は両立するアーチストも出てきている印象を私は感じています。もちろん日本と英国におけるダンス文化は歴史や風土からみても当然異なった状況であり、日本ではダンスの持つ人間育成効果はまだまだ教育や生活へ浸透していないのが実情です。

ちなみにダンスにおける人間育成の指すものとしては、創造力、想像力、表現力、情操力、美意識の育成、リラクセーション、健康保持・・などが思いつくものですが、当然まだあるでしょう。そしてコミュニティの文字通り、つながりを育むのも大きな要素なのです。

さて、その翌21日は、まず一般参加のワークショップと、そのあとは私の活動を知ってもらうトークを行いました。

ワークショップに集まった参加者は男女合わせ17名、20歳代~80歳代まで幅広く、純粋に興味を持った方、4歳からバレエをしていた方、娘が踊りを習っていて負けないようにというお父さんや、エアロビ、ヨガ、ピラティス講師の方、型にはまった事が嫌いな方、自由な動きができない方、建築家、中学校の教師・・とにかくいろんな方が集まっていました。懸命にそれぞれの内側が外へ形になろうとする瞬間は、微生物が魚になるような根源的な命の躍動の姿の片鱗になりうるものだと思います。私は是非、さまざまな職業や、性格、その人物の歴史から、どんな動きが生まれるのか?とにかくそこを観察するダンスの楽しさもたくさんの方に知っていただきたいと思います。
また日常ではなかなか会えない人と出会いそこからコミュニテイが始まります。


ここで少しつながりについて考えてみたいと思います。

人の関係性が希薄になっている現代といわれ、最近「つながり」という言葉は、耳にする機会がとても増えました。大阪にいた私の子供の頃を思い返せば、確かに隣近所の付き合いも今の東京での暮らしに比べると濃かったな・・と感じます。近所の人がおすそわけを持ってきたり、逆に家から何かお返ししたり、困った時には助けてもらったり、家で母親が近所の人とお茶を飲みながらおしゃべりしていたり・・。もちろん全国においては、まだまだつながりが強い地域も多いと思いますが、核家族化による移住の増加、助けを必要としない便利になった暮らしなど、明らかに現代ではつながりの状況が違ってきています。

現在、特に東京は地方からの移住者が多くなるにつれ、よそ者意識がお互いに強く、なかなか隣近所との交流が難しいと感じます。(私自身も兵庫出身の東京ではよそ者でありますが、実は最近になって打破してみるべく地域の自治会へと入りました。まだ回覧板回す程度ですが・・。)

つながりが大切とは解っていながらも、現状に馴染むのが人の常です。生身での対人への距離感がある日常が当たり前となり、その中での対人バランスがインターネットなどに転換しているのでしょう。もしくはネットが先で、煩わしい対人関係を省略していったのが今日と言えるかも知れません。

SNSの王道的なフェイスブック利用者は最近はどんどん増え日本では2011年に1000万人を超えたそうです。興味深いことにそのうちの40%が東京に住んでいる人だそうです。完全に都市型です。純粋に都市部の人ほどネットを通してのつながりを必要としていることだと思います・・。私自身も登録しています。ここで人々がつながりを作っているのは一目瞭然で、おそらくたくさんの人達の生活の一部となり、すでに無くてはならないと思っている人も多いと思いでしょう。

実は最近そのフェイスブックにて気づいたことがあります。登録者は友達とつながり、友達や知り合いへ向け情報を流したり日常の出来事などを投稿しています。
面白い事にその投稿をよく見てみると、「近所の人がおすそわけを持ってきたなり、家で母親が近所の人とお茶を飲みながらおしゃべりしていたり・・。」という近所付き合いの状況ととてもよく似ていると感じました。

つまり昔で言う「おすそ分け」には、自宅の畑でできた野菜や、田舎から送って来た果物などありました。これはいうなれば「これが自分の能力の形です!」ということを、心を許した近所の仲間へ見せる行為であると思います。もっと距離が近くなれば、作りすぎた煮物なり、お菓子を焼いたから持ってきた、家で食事しましょう!などさらに手の混んだ物へ変わります。「私はのこの能力であなたを助けますよ」という意思に思えます。困った時には支え合う仲間となっているでしょう。

さてフェイスブックの投稿は、それぞれの特技が満載です。もちろん私も活動を見せています。時には自慢もします。人によってアートをしていれば作品を見せ、英語ができれば英語でも文章も書き、イベントを立ち上げればこんなのやりますよ!とお知らせをしています。内容によって受け取り側が必要とする「おすそわけ」とそうでないのがよくわかります。心を許した相手と単ににおしゃべりがしたいという状況の場合も同じです。コメントやいいね!がお返しともとれ、そのコメントやお返しによって、とうぜん距離は縮まります。もちろんこれはきちんと研究したわけではありませんが、私には都市型のつながりの形が現れているように感じます。「フェイスブックとおすそわけの法則」です。


そう考えるとどうも人が無意識下で求めている繋がりの欲求は、方法は違えどいつまでも変わらず普遍的であると感じます。

さてワークショップに来る人を観察していると、実は積極的に他人と近づく人もいれば、必ず距離を取ろうとする人がいます。確かに人はきちんと自身を吟味する孤独も必要なのです。静寂の中で、自信と向き合うことの出来る人は、個人の叫びに溢れた表現を見せてくれます。私も孤独は好きです。なにをするでもなくぼんやりといろいろ思考を巡らせたりするのが好きです。しかし人とのつながりがあり、我々は日々生きることができます。実はどこかでつながりがある安心感に支えられているからこそ人は孤独になれると思います。小説ロビンソンクルーソーもつながりの喜びをしっているからこそ、フライデーに会えるまで無人島での孤独に耐え抜いたのかもしれません。つながりの欲求は自信を活かし、その身を守る行為でも有り、反対に孤独の欲求は変化への欲求であるということでしょうか。

団体行動が全てではありません、形式では無く、つながることの必要性を身を持って感じることがまずは大切です。きっとそれこそ能力にあふれたそのつながりが人や地域を動かしていくことになることになると思います。

”地域の人達がつながりを持ち、自ら地域を活性化する”静岡の市民ダンサーはまさにそのコミュニティダンスの理想の展開だと感じます。そして私自身そこへ触れることができて嬉しく思っています。



ワークショップを振り返り、私自身の想いとは遠く、まだまだ導く力は足りておらずです。
なんと2日目のワークショップにおいて途中一人帰ってしまった80歳代の参加者がいました。その方は20年間社交ダンスをやっていたそうで、久しぶりに踊りたいと思ってきたそうです。その期待に応えることができず心中察すると申し訳なく思います・・。その方の中でおそらく何かが違ったと思います。最年配80歳代の方で、その方の躍動を見ることなくウォームアップ中静かに退場していきました。勉強したいと思います。


今回の刺激的な機会をいただけたことに、関係者のみなさまへ心より感謝を申し上げます。
ありがとうございました!

静岡応援していきますよ!!





2012年10月28日日曜日

静岡ワークショップ 前編  ~熟年ダンスと循環~




10月19日~20日静岡でワークショップを行なってきました。初めての土地、人との出会いは、新しい発見と学びがあります。今回も全日刺激に溢れた時間でした。
今回は静岡市民文化会館のでの、市民ワークショップとデイケアセンターへの老人の方へ向けたアウトリーチ、JCDN(ジャパンダンスネットワーク)によるコーディネートにて行われました。

1日目はデイサービスセンター「久能の里」のお年寄りの方へ向けたワークショップからです。海岸沿いにあるベージュの外観の施設に入ると、吹き抜けのホールがドンと目の前に広がり日差しが明るい解放感ある空間です。通常はそのホールでさまざまな催し等行われており、体操やマッサージ、フラダンスなど外部の講師が訪れ、頻繁に身体を動かす事は行われているそうでした。ホールに集まった、おじいちゃんおばあちゃんは40名程、平均年齢は80歳位。歩くのも大変そうな方が多く、今回はイスに腰掛けた状態でのワークショップです。熟年のそれぞれの居ずまい、顔、手足の皺、歴史溢れる身体にはいつもながらついつい目を奪われてしまいます。人間の隠しようのないリアリティは、つくづく自分自身の表面的な部分を露呈し、一瞬にして蹴散らしてしまいます。この団体が皆一斉にグイグイ内側から踊りだす姿を想像すると痺れます・・。

自己紹介のあと、私のやりたいことを説明しますが、耳の遠い方も多く、「それぞれで踊りを創作したいと思います」と言っても、固まって私をじっと見ているだけです。訳も分からずはじめるよりもまずは最初に私自身の踊りを見てもらいました。おじいちゃん、おばあちゃん達と同じくイスに座ったままで使える身体部分を使い、身体を動かす喜びを感じ、伝えようと踊りました。上半身を縮めたりのばしたり揺らしたり、固めたり、無表情になったり音楽をかけて動かしました・・。ものの見事におじいちゃんおばあちゃんは拍手もせずにシーンと固まったままでした。拍手位はもらえると、思っていた自分自身に笑ってしまいます。まだまだ心をつかむ踊りが出来ていないということでしょう・・。しかしとにかくお世辞で拍手しない所が惹かれます。

さてそこからストレッチ、ウオーミングアップを行い、徐々に心身をほぐしていきます。参加者名簿を事前にもらっていたのですが、マサさん、シマさん、ヒサ子さんなど今の若者にはなかなかない名前が多く、そこから生きてきた想のつまった歴史を想像します。そこで今回はそれぞれの名前に含まれる自然やモノを表現することにしました。川が名前にあればどんな川なのか・・穏やかなのか、濁流なのか、澄んでいるのか、近所にあった川・・などなどイメージを質感として身体で表そうとします。とにかくは最終的にはそれぞれ独自の踊りを数名ずつ発表するまでにはたどり着けました。

私は思いますが、社会全体の目線で見て、年寄り=隠居生活ではなく、もっともっと表現をする機会を持ち、そしてなおかつきちんとその表現に対し喜んでもらったり評価をしてもらえる環境が必要じゃないかと感じています。我々は、日々様々なものを体に取り込んで排出しています。それは食べ物、呼吸に限らず、目に見えない刺激や、ストレスまで全てです。その身体に取り込んだモノは、排出することが健康体であり、きちんと排出する環境がなければ、どんどん身体に溜め込まれ体は澱んで辛くなるはずです。

年を重ねるごとに感動や、知識、経験や苦労など様々なモノが身体に取り込まれ蓄積され、それは歳を重ねた分だけ熟成した美しさとなるはずです。熟年の表現から伝わる感動を社会後継者たちが味わい、未来を育む力の変えていく事はまたひとつの自然な循環であるとも言えます。そしてその循環に乗ることでキラキラと命輝く年寄りの方は増えるのではないでしょうか。

ソケリッサ!のメンバーを見ていると、度合いは違いますがだんだん日常の表情が豊かになるのを感じます。メンバーは人前でそれぞれが受け入れられる環境にあり、その環境でお客さんの期待に答えるべくどんどん表現として排出をしています。したがってそれに伴い日常でもさまざまなモノを積極的に取り込んで行く必要を無意識のうち感じて動いているように思えます。そしてそれが様々なことに対しての興味となり、心を動かし吸収している姿が表情へ現れているように感じます。伺ったデイケアセンターは解放的でとてもおだやかな空間です。職員の方もおじいちゃん、おばあちゃんの表現を受け入れる器量もある方ばかりでした。表現を外に出す機会が増える事、出し方を導く先導者が側にいることで、きっと輝く景色はひろがるはずです。全員のグイグイ内側から踊りだす姿、その景色はぜひ見たいです。

ちなみに排出物=カスということではありません、取り込んだモノは身体の内側で形を変え、体外へ出て来る時には何かの役に立つようにできていると思います。呼吸や、便、もそうです。もし、何者にも役に立たないモノを排出しているなら、それはきちんと消化をしていないことかもしれません。私自身未消化のまま排出している事もあり、誰の役にも立たないものを出していることもあります。不味そうですが牛やらくだのように再び体に戻し、反芻することも良いかもしれません。

考えてみれば、いっさい何の得にもならないカスを排出することが人間の特技なら・・
カスは人間でいるためには必要なのでしょうか。これはまた時間をとって私の考えを書いてみたいと思います。

さてそのあと食べた生しらすはとても美味しく、ご飯にかけ、山盛り食べました。感動と栄養と食べる喜びは余すことなく活力へと身になりました。静岡の食べ物は美味しいです。

後編へ続く

2012年9月12日水曜日

宮城 被災地でのワークショップと子供たち 後編

 

二日目の朝は、荒浜小学校の子供たちとのワークショップでした。

こちらの小学校校舎は、被災して現在は使用できない状態です。
海より700メートル傍にある小学校で、瓦礫など片付いてはいましたが、校舎は壊れ津波の跡が残っているままでした。現在は被害の少なかった逢隈小学校に間借りをして授業を行っている状態です。今回はこの荒浜小学校の学童保育クラスでのワークショップでした。

学童保育は、労働などの事情により昼間保護者が家庭にいない小学生の児童に対し、放課後など保護者に代わって行う保育を指しています。学童保育の子供たちに対し授業を行うのではなく共に時間を過ごし、子供たちの生活の場を作り、勉強や遊び、行動をサポートすることが目的となります。今回はダンスをやりたいといって集まってきた子供たちではないのが1日目と違うところです。

中~高学年の子供たち数十人、ワークショップを行う体育館に来るとすぐに走り回り、子供たちみんなを集めてワークショップを始めるまでにもう私は汗まみれでした。「集合!」といってもそれぞれ自分のやりたいように行動しています。遠く離れて座って見ているだけの子もいます。ウンコなどと叫びながら走り回る子も数人います。内面の言葉にできない衝動を表に出すことは人にとって大切です。しかしその子たちはウンコの踊りを踊りたいのではなく、自身の内にある衝動のかたまりが大人の注意を引く反発だったり、そわそわしたものだったり、うまく言葉にできない内面が形にとなっているようでした。

なんとか挨拶とそれぞれの自己紹介を済ませ、準備運動。子供たちはつまんないと思えばやらず、面白いと思えば傍に寄ってきます。彼らに自分の物まねをさせてみます、見てるといわゆる変な形などを子供たちは喜んで真似をして、とにかくすぐにふざけたがります。そして参加した子供たちの目的は、かっこいい形や上手に踊りが踊れることでなく、それ以前のものに感じました。実は子供たちは一緒にふざけながらいろいろな動きをしている"私を見ている”のではないでしょうか。

「この人はどんな人か、表面的なのか、安心できるのか。・・」と、私には子供たちがそんなことを考えているように感じました。子供が成長したいという意思は、まず安心して生きてるということが土台として必要であると思います。それは大人も同じです。だれもが安心を渇望し、そしていつまでも安心を求めて日々彷徨っていると思います。

”安心は物質ではなく愛情です。”

荒浜小学校の子供たちは、地震の起こった時刻は、ちょうど下校をしようとしているときだったと聞きました。それから校舎へと非難をし、およそ70分後に津波が押し寄せてきたとのことです。子供たちと教師、周辺地域の人たち合わせおよそ300数十人の方たちは屋上で周りが波に埋もれていく衝撃的な時間を体験しました。その日のうちにヘリコプターでの救出が始まったとのことですが、ホバーリングしての救出は時間を要します。電気の消えた暗闇の中、石油タンクの燃えさかる炎がぼんやり辺りを照らしていたといいます。強烈な非日常の世界です。最後に消防団や校長先生が救出されたのは次の日の午後とのことでした。

・・・今現在、子供たちにはまだまだ愛情が必要です。子供たちが何かを学び成長をしていく以前に確固たる愛情を求めているように思えました。子供たちの強烈な震災体験という身体の記憶は、周りが消そうとするのではなく、その記憶丸ごと彼らをつつんであげることが大切です。そしてそのうえで芸術の持つ自由性により、彼らの内側に踊る喜びという新しい記憶を作っていく事が私の役割だと強く感じました・・。さて参加した子供たちの集中は1時間でした、そのあとは勝手気ままになりました。子供たちに”踊り”をきちんと提供できたのかどうか正直解りません。私自身、まだまだ子供たちにできる事はあったはずであると思いますし、もっともっとひきつける踊りができたのではないか・・というのが本心です。

ワークショップ後、私の傍に最後まで参加しなかった男の子が来ました。
「参加したくなったら一緒にやろう」と彼に声をかけてはいましたが、結局その男の子はずっと見ているだけでした。その男の子が終了後、傍に来て「又来る?」と私に言いました。「遠いからすぐは無理かもしれないけど、又来たいよ。」と答えると、その子はだまって帰っていきました。彼の言葉の意はまた来てほしいのか、もううんざりということなのか、その一言では解りませんが、”又来てほしいと思っている”と私は都合よく解釈したほうがそれ以上落ち込まずに済みます・・今回のワークショップの成果の一つとして受け止めることにしました。

昨日で震災からちょうど1年半です。
今回の震災で”絆”という言葉がクローズアップされました。近代まれにみる今回の震災で、我々は確かに”絆”の大切さを再認識し、未来へ進まなくてはなりません。しかし我々日本人はすぐに形式に目を向けてしまいます。”絆”という形式をただ作ればいいというものではなく、絆の重要素である”愛情”の認識が大切であると思います。部分的な被災地だけの修復ではなく、もっと大きい範囲での改革、根本的に今までとは違う価値観を持って生きることとは、”愛情”の重要性の再認識ではないかと思います。

自身、配偶者、家族、友達、仲間、物、動植物、他人、国、世界、地球まで様々なものに対する”愛情”を重要視をした個人育成、及び社会創りを目指すこと。これは全国の大人誰もが出来ます。当たり前に思えますが、不安に包まれた社会やそこで生きる人々の姿は愛情に包まれているとは思えません。本当の再建とはとても身るるな事であり逆にとても困難だと思います。

私の接した逢隈小、荒浜小の子供たちを引率してる大人は、形式やマニュアルでなく子供たちに何が必要かをしっかりと考え、静かに寄り添い、愛情に裏付けされた子供たちへの繋がりが見えました。これは子供たちだけでなく、先生同士、又外部に対しても協力をし合う関係は同じでした。
とても人間本来の自然な美しい姿に見えました。もちろん小学校だけでなく被災地の再建には自ら被災しながらも活動している人たちの存在は本当に大きいです。

子供たちが大人や社会からの十分な愛情の元、安心して成長して行けることを願います。
とてもいろいろ気づかされる時間でした。もちろん又訪れたいと思います。

協力してくれた宇都宮大学の学生さん、そして長谷川真由美先生に感謝を申し上げます。

2012年8月30日木曜日

宮城 被災地でのワークショップと子供たち


8月22日~23日と宮城県の亘理へ小学生のワークショップを行って来ました。

8月頭にも下見で訪れた被災地域、亘理町は仙台から常磐線に乗り約40分ほどの場所で、仙台中心部の都会的イメージとは逆に穏やかで緩やかな時間の流れる印象でした。

亘理駅周辺は大きな被害も見えず、のどかな田舎町です。
宇都宮大学、長谷川先生と現地で待ち合わせ、その後案内の元、被災した地域を見に行きました。長谷川先生は大学での授業などで忙しいにもかかわらず、時間を見つけては私の活動の協力をしてくれて、いつもとてもお世話になっています。亘理には昨年より何度も訪れ、学生たちとボランティア活動、地域の再建活動を行っており、今回は学生たちによる小学生の勉強の手伝い、交流、ダンスのワークショップなど発案、そして以前より被災地でワークショップをしてみたいと話していた私を誘ってくれました。

亘理の中心より車で数分走り、だんだんと半倒壊した建物や、折れ曲がったガードレールなどが現れます。津波の到達した範囲が倒壊の大きさで感じられました。

海の傍は、元から住宅など何も無かったかのごとく、海沿い一面に雑草の生えた空き地が広がり、残っている建物も3階部分まで到達した跡が残っていました。高いところは7~10mの津波が押し寄せ、距離ではなんと沿岸から6km程先迄到達した場所もあったそうです。家の土台や、塀の無くなった後が分譲地のような景色に思わせます。瓦礫の撤去が進み、特定の場所に集められ、表面的には片付け自体進んではいる印象ですが、残る傷跡から受ける震災の質感はやはり身に強く迫るものがあり、想像を絶する出来事が現実に起きたリアリティが広がっていました。

そこから海沿いに相馬市の方へ向うと建物の土台が見え隠れする草原の中に、所々剥げたコンクリートのホームが残る常磐線の山下駅がありました。亘理駅から先、常磐線は不通となっています。山下駅の線路は今はありません、そのあたりは日本一直線の続く線路だそうで、おそらく線路であった先へ続く空間は、遥か遠く独特の草原が続くだけでした。

その先にある中浜小学校は校舎の2階上部分まで水にのまれたしるしが青いラインで記されていました。(ちなみに校舎は海抜2~3mの高さに建っています。)校内隣には原形を留めない車の保管場所として積まれており、校舎の向こうには波しぶきが上がり、ドーンと岩に波が打ち付ける音が繰り返し響いています。大半の車はキーが刺さったままつぶれていました。

震災の時、生徒達は最上階にある用具室に避難をし、先生の指示で津波を見る事を避けて終息を待ち続けていたということでした。先生の機転の効果は大きいと思います。高台に避難した人々中には津波の押し寄せる衝撃的な景色が忘れられず、海へ近づくことのできなくなった子供が多いと聞きました。それにしても津波の及ぼす”音”の中、用具室での暗闇を寒さに震え朝まで過ごした情景は私の想像の及ばないものです。

改めてすべてを元に戻すことは不可能だと強く感じました。



亘理町にある逢隈小学校は、プールの倒壊や、校舎の亀裂はあるものの海沿いに比べて被害も少なく、同地区の津波により被災した荒浜小学校へ校舎を間貸ししています。

1日目は逢隈小学校の子供達へのサマースクールでのワークショップからでした。サマースクールはダンスのほかに、勉強の手伝い、自然を肌で感じるネイチャーゲームや染物など宇都宮大学の学生さんたちによるプログラムがいくつかあり、どれも子供たちの自主性を育成する目的で構成された素晴らしい内容でした。ダンスにおいては前半が私の振り付けで踊り、後半は参加した逢隈小の先生方とともに振付を創作に挑戦しました。

最初、子供たちは全体的に大人しい印象は受けたものの最終的には笑い声にあふれ、身体を使って表現をする喜びを感じてくれたと思います。こちらから頼んでないのですが、たくさんの先生が参加をしてくれたことはありがたく、さらなる子供たちの喜びにつながったと思います。

夏休みにもかかわらず教師はほぼ平常時に変わらぬ出勤体制ということです。男性教師の一人に「休みはないのですか?」と聞くと「昔とは変わりましたね。」と、微笑んでいました。その言葉は純粋に、我々の”子供時代と現代の教育や教育者の在り方の変化”を指しているのかもしれませんが、先生が子供たちと汗を流し踊る姿を見ていると、”震災前との違い”を表しているようにも感じる、とても意味深い一言に聞こえてきます。

世の中はどんどん大きく変わって来ています。震災前と震災後は全く違います。震災を通して、個人の為の効率化にまみれた現在の生活形態は、資源や電力の過剰消費など我々の麻痺した意識を露呈させました。物質至上ではなく精神の大切さ、又、日々生きているということの大切さをきっと誰もが感じたように思います。


そして考えるべきことは、その先です。




その2へ続く

2012年3月27日火曜日

親のための「子供の踊り」について ~判断の基準~

道を歩くと、当然ながら他人とすれ違う、この人とはもう会わないのか、それともすでに数度会っているのか、その人生にはどれほど関与しているのだろうか・・気が付くとそんな事を考えている。知り合いと似ている雰囲気の人がいれば、人間はだれもが決まった数パターンの顔に分類できる、とシュタイナーが記していたのを思い出す。
居酒屋で飲むおっさん達の皆決まりきったような会話でなく、自由溢れる子ども同士の会話。飼い猫のハナは私の踊りを見て、どう思っているのか。人間はこれからどこまで進化していくのか。動物を釘付けにするおどりを踊れたら、革命だろう・・。などと次から次へ頭の中には浮かんでくる。
人間そのものを、私は「踊り」というツールを使って解明しようとしているのかもしれない。おそらく基本的に私は人間オタクなのだろうと思う。

生物学者、福岡伸一氏の「動的平衡2」という本の巻末に印象に残る文面があったので、載せます。

どんなに科学技術が進歩したところで、人間は森羅万象の全てを理解することは出来ない。常に「わからないこと」を抱えて生きていかなければならない存在である。そのとき、私たちは「真か偽か」という科学的な議論から離れ、「善か悪か」という哲学的な判断を迫られることになる。しかし、その場合にも私たちは部分しか見ることが出来ない。そして部分の効率や幸福を求めると、逆にみんなの効率や幸福にもつながらないことも少なくないのである。では、いったい、私たち人間は何を判断基準にして生きていけばいいのだろうか。これはもう一義的に言えるようなテーマではないと思う。ただ、個人的な感想として言えば、「真偽」「善悪」の次のフェーズとして「美しいか、美しくないか」という「美醜」のレベルがあるように感じている。(福岡伸一 著「動的平衡2」247Pより)

我々人間は、物事を考えるとき、おそらくはまず「正しいか正しくないか」で決めようとするように思えます。もしくは「良いことか悪いことか」でしょう。しかしそれでは確かに行き詰るときがあります。世の中は真偽、善悪で分けようと思っても無理だと私も感じます。そこで筆者は「美しいか美しくないか」で判断することはどうかと提案しています。

はだしのゲンという漫画があります。広島の原爆で父や兄弟を失ったゲンが母親に精力をつけさせようとお金持ちの屋敷に忍び込み、庭の池の鯉を盗もうとした、という内容の漫画を読んだことがあります。これはあきらかに盗みであり、「正しいか正しくないか」で言えば、行為自体は窃盗なので正しくはありません。しかし「美しいか美しくないか」でいえば、私は美しいと思います。もう鯉をくれてやれ、といいたくなります。小学生の頃読みましたが、戦争でむき出しになる人間の本能の描写は衝撃的でした。

私がインドにいったとき、7,8歳くらいの女の子が、野の花を積んで私に売ってきました。うろ覚えですが200円くらいでした。そのくらい買って良いかな・・と思ってお金を払うと、兄弟がいるからもう少しくれと言われました。そのときはもうお金を持っていないからと嘘をつきましたが、後になってもう少しあげればよかったと後悔しています。兄弟がいるかどうか、嘘であろうがなかろうかでなく、その位の年の子どもが遊びまわることも無く、お金を稼が無くてはならない背景があります。大人に言われたか、兄弟のためにかどうであろうと、その子が積んだ花を売る行為には懸命な姿があり、けして悪の部分があろうと真偽、善悪でない感覚による判断を必要とします。

路上生活のおじさんを誘って踊るなんてアオキさんは良い人だ、とも言われますが、その言葉はあくまでも部分的な印象であり、当然私自身は自分を善人とは思っていません。もちろん法には触れていませんが悪の部分は大いにあります。悪のかけらが微塵も無い私の踊りなど、感覚的にもうそ臭いものに思えます。 映画のブラックスワンでも、主人公のナタリー・ポートマンが、自身の内に隠している悪を表に出せずに苦しみます。演出家はその悪を必要としているのですが、欲望を抑えることが正しいと思う彼女は崩壊へと向かいます。表面的で美しいダンスの映画と思って観るとグロテスクで驚くかもしれませんが、表面的なお姫様ではなくリアリティある美しさを今改めて考えることが必要であると感じました。

人間の生活には想像以上に感性の重要性が密着していると思います。白黒で説明できない世の中の構成要素は「美しいか美しくないか」というような「感覚」での物事の判断をもう少し有効にしていくことが、これからもっと重要になるのではと感じています。

子供達と、それぞれの「美しいもの」を探してみたいとおもいます。
人間オタクはまだまだ続きます。

2012年3月20日火曜日

親のための「子供の踊り」について~真剣な遊び~

「TED」という世界の各部門の専門家のレクチャーを無料動画配信しているサイトがあります。
「TED」は1984年に設立された非営利団体で名称は、テクノロジー、エンターテイメント、デザイン、の三つの頭文字に由来、その根源はIdeas Worth Spreading(世界中に勝ちあるアイデアを広げよう)という考えです。とにかく世界が共有する末来について、学術、エンターテイメント、デザイン、など様々な専門家のアイデアはけして難解ではありません。アルゴアや、U2のボノ、ビルゲイツもいますが、まさに「世界を作り上げ行くリーダー」たちの講義それぞれ刺激的です。日本語訳もあるので、ぜひ一度ご覧になってみてください。 

その動画の中で昨年の TEDアワード「2011 TED Prize」を受賞したパリのJRというアーチストがいます。若干27歳にして写真家、活動家など多彩な顔を持ち、”自由”、”アイデンティティ”などのテーマを扱った巨大なグラフィティ作品で世界的に知られているようです・・・とにかく本当に素晴らしいと感じました。動画を見ていただいた方は理解しやすいと思いますが、やっている事自体はシンプルで「顔写真を貼る」という行為です。しかし彼の視野、スケール、遊び心といい、これは世界の人の心を揺さぶることが出来る芸術です。彼自身が楽しんでいることは最大の魅力です。

私は物事を「楽しむこと」は、物事に取り組む上でなにより大切なことであり、又成長へ大きくつなげる術であると考えています。そして「楽しむ=遊び」であると考えます。踊りも無心に踊る行為を楽しむ人と、義務で踊る人では全く魅力は違ってきます。無心に楽しむこととは、どういうことでしょうか。

シュタイナー教育というオーストリアの神秘思想家ルドルフ・シュタイナーが提唱した教育思想があります。このシュタイナー思想は霊的な考え方を含み、賛否はあるのですが、教育の面では非常に共感できる部分を多く感じます。勉強の取り掛かりは最初に鉛筆ではなくクレヨンを持たせ、ひたすら模様を書いたりするのです。つまり空間にモノを記すという遊びの行為から、字を書くという行為、字を覚える行為と進んでいくのです。押さえつけの無い遊びからは、自発的な力が生まれます。つまり「やれと言われてやるのではなく、やりたいからやるのです。」

人間の能力は必然に迫られることが知識や能力を増やす力になります。知識を増やすことは自発的に「なぜ?」と感じることです。なぜも感じないのに周りが「決まりごとだから・・」とどんどん詰め込んでいくことは、苦痛であると感じます。それが当たり前になると、なぜ?も感じずに詰め込んでいくのが当たり前となってしまうでしょう。そうなると将来は誰かに促してもらうことが当たり前になり、自分から何かを生み出すことに抵抗を持ってしまう人間になってしまいます。

又、無心の遊びは、身体をゆるめます。
筋肉は、緊張と緩和の二つの使い方しかありません。それで身体の動きが成り立っています。
ふと自分自身の身体を感じてみてください、本当にリラックスした状態でしょうか?無意識に身体のどこかに力が入っていたりしていませんか?人は身体を固めていることが多いと思います。
緩めることの方が難しいのです。不安や、心配ごとをしてみればあっという間に身体は固まります。不安でお腹が痛くなるのも、お腹をぎゅっと縮めているからでしょう。しかし踊りは緩めないとなかなか動かしにくいものです。上手く動けていない子供を見て、ついつい怒りたくなるのも親御心かもしれませんが、私自身怒るという行為は、やはり本来の成長にはあまり有効ではないと感じています。とにかく楽しむこと、遊ぶことは悪いことではなく、知識を増やし、良い踊りを生み出します。私にとって踊りとは仕事でありますがそれは「真剣な遊び」という感じです。
人に迷惑がかかる行為などは、あきらかに強く道を正す必要がありますが、得意なことや、興味のあることは、どんどん引き出すことが大切だと感じます。自発的に自分で何かを生み出す喜びが大きくなれば、それは人を動かし、きっと世界を動かす力へと繋がると思っています。


「2011 TED Prize」 JR のトーク
http://www.ted.com/talks/jr_s_ted_prize_wish_use_art_to_turn_the_world_inside_out.html



2012年3月4日日曜日

親のための「子供の踊り」について ~木を見るだけでなく森を見るということ~


数年前に古本屋で中学の歴史の本を見つけ、気に入っているページです。
(扶桑社より市販されています。)
1センチが100年。2012年の今は20センチ過ぎです。150年前はまだチョンマゲですから、これで見ればつい最近のことに感じます。



(画像が見えづらくすみません。)
イタリアでのバレエの発生が16世紀、上の16Cの辺りですからバレエは400年も前の長い歴史があり、その時代の日本は、織田信長や秀吉や家康が生きていた時代を過ぎたくらいと考えると、西欧とあまりにもかけ離れた日本の姿であったと深々感じます。ちなみにストリートダンスはもっと後になり20世紀の後半辺りからの発生です。さて日本においては1945年の終戦からアメリカ文化が大きく入り込み、文化も急速に変貌しました。そして交通手段の大幅な進歩により人は世界に往来、今ではテレビやインターネットの情報は瞬時に世界を駆け、この50年ほどで急速に大変貌しました。
いかがでしょうか?
50年は年表の5ミリです。私はなんだか急な印象を感じます。近年は、何か社会まるごとがスピード化し、人間もその社会に追われているように感じます。どんどん周りに振り回され、流されているのが現状ではないでしょうか。人間はいったい幸せに向いたいのか、不幸に向かいたいのらなくなるときがあります。

大人だけでなく、いそがしい子供も増えました。最近は学校に言って習い事を3つ4つ抱え、熟にも行っている子が増えたと聞きました。安心できる未来のためです。それは不安を感じさせる今の社会では末来の不安を感じるのは当然とも思えます。しかしどうも末来の準備に毎日追われてしまうことは、毎日を作業的にこなすだけになる恐れが大いにあり、物事に心を動かす暇がなくなるように思います。詰め込みすぎるのも程ほどにしないといけません。瞬間を味わい、瞬間に心を動かすことが出来なくなるということは、人間として不自然なことだと思います。心と身体のバランスが取れない情動障害は近年増え、ましてやうつ病になる人の数は2002年より増え続け1996年の45万人に比べると現在は100万人以上となり、減少の気配はありません。私自身、これは社会のスピード化による大きなコストであると思っています。

我々は表で言えば所詮1センチに届かないほどの寿命です。落ち着いてふと自身と向き合い、その限られた中で何をするべきかを考えるには、この表は良い素材であると思います。「木を見るだけでなく、森を見てほしい」とありますが、たしかに森を見ると今まで見えなかったものも見えてくると思います。

もっぱら自身に関しては無意識に「機を見る」時間が増えたことは、いかがなものかと思っています。

2012年2月25日土曜日

栃木ステージラボ

地域創造という財団法人があります。この機関は1994(平成6)年に設立され、地域における文化・芸術活動を担う人材の育成や、公立文化施設の活性化を図るための各種支援事業(音楽・ダンス・演劇・邦楽・美術・助成)など、多彩なプログラムを実施しています。
23日木曜にこの財団のプログラム「栃木ステージラボ」に、私は講師として話をしてきました。「ステージラボ」とは、公立文化施設等の職員を対象に、事業の企画制作、施設運営、地域との関わりなど、ホール、劇場等のソフト運営に欠くことのできない要素を体得するための研修で財団設立当初より、全国で開催され続けています。簡単に言えば地方の劇場やホールの運営を考え、人材を育成するゼミです。

今日は都市に文化や芸術は集中していますが、地方の劇場の状況をしっかりと考えることは大切であり、自分の住んでいる東京が豊かならそれで良いわけでなく、文化、芸術の力で地方も豊かにしていかなくてはなりません。(東京の人間が豊かといえば定かでありません、芸術が豊かにあることは確かですね。)九州、愛知、岐阜、熊本、大分・・日本各地の劇場、ホールの職員の方たち15名ほどの参加者に私の活動、芸術観を話し、その後ディスカッションを行なってきました。ゼミに参加した職員の方たちは、素直に自身と向き合い、向上心を持ち臨んでいる姿が印象的でした。

我々は作品を創る側、ダンサー側の視点で芸術を捉えがちですが、劇場やホール側の視点に立ってみると又違った発見があります。劇場やホールは単に観客の見込める大型作品や、団体を呼べば良いというものではありません。劇場やホールが主体となり地域の住民に芸術を提供する、芸術で地域を豊かにすることの必要性に大きく視点を置いています。これらはアウトリーチと呼ばれ、手を差し伸べるという意味合いです。そして人のつながり、地域と人のつながり、都市と地域とのつながりを創り上げる、つまりコミュニティの大切さに重要性を置いています。

これらの例としては、地方劇場に都市からアーチストを派遣して、一般の参加者を募り、ワークショップ等を行い、発表したりする形がよくあります。私も2010年、岐阜の多治見市文化会館の企画で呼んでいただき、一般公募の素人やダンサーを集め、数週間かけワークショップを行い、舞台公演を行いました。短期間ですが、参加者の技術だけではなく、内面の成長や、他人との関係の変化が見えたときに企画価値を肌で感じることが出来ました。これらはダンスのみならず、音楽や、伝統芸、絵画などさまざま行なわれていますが、まだまだ身体を動かし表現をする踊りの効果が一般へ浸透できるように思えます。

ちなみにイギリスなどでは精神疾患や、運動不足に医者がダンスを進めるほどダンスが生活に密着しています。刑務所では演劇やダンスでの更生プログラムは当たり前ですし、薬物使用者や、アルコール中毒者の更生施設にもダンスを取り入れ、国が後押しをしてお金を出すほどです。そう考えると日本のダンスは一般の人には抵抗あるものとして捉えられている印象は強くあります。別にこれは駄目なことではなく日本人の気質であり、国民性であると思います。
必要なのは今の日本をしっかり捉えることです、そして日本の国民性を考え地域の良さを打ち出し、誰もが身近にできる企画を打ち出せる人材なのです。

参加者のアイデアで「地方の知られざる名所を市民がアピールして踊る」のはどうだろうというのがありました。これは良いと思います。地方の良さをアピールするために踊る使命感は頑張れます。ましてや他の地方も同じようにやり、ユーチューブなどにのせてもそれぞれの特色が見られて良いと思いますし、難しいことをやる必要もなく地域住民の出演協力は得られやすいでしょう。「学校の校歌に振付をする」というのがありました。これはアーチストが先導し生徒達に創らせると様々な良い効果があるはずですし、各学校での校歌の違いも見たくなります。

今回、地域の劇場、ホール側の視点で社会を見たときに、様々な社会問題を防ぐことが出来ない要因の一端は自分達にあるという意識を持つことがまず必要だと感じました。様々な社会問題はその社会を構成している全ての人間の責任であると思います。つまり芸術にたずさわる人間はその意識を持って、社会問題を改善できるほどの芸術を作り、提供するというモチベーションの強さがあることが大切です。誰をも魅了する芸術を目指すことです。別に内容が重く真面目なものを提供しなくてはならないのではありません。面白くても、変でも良いのです。芸術の力で地方を活性化し、孤立のない社会を目指すことの大切さを改めて感じました。

コーディネーターのJCDNの代表である佐東さんは「ボリューム感が必要」と話していたのが印象に残っています。つまりアーチストや、施設単体それぞれの力は大きく物事を動かすには弱いものです。しかし同じ意思を持ち同時に各地で何か行なうことができれば、そこから生まれるものは遥かに強烈な力になるはずです。今は、私自身、アーチスト同士も実は孤立しているように思えます。基本的にアーチストは個人であるべきだと思います。劇場も個々の色合いは強く持つべきで、何から何まで統一する必要はありませんが、アイデアを共有し、アーチスト同士、施設同士のつながりが出来たとき、孤立のない社会への導入の輝きが見えるのかもしれません。


地域創造HP http://www.jafra.or.jp/

2012年2月12日日曜日

親のための「子供の踊り」について ~衝動~

先日2月10日、横浜寿町の保育園児の前で踊ってきました。
朝10時から始めるため自宅から1時間以上かけ石川町へ向かいました。
久々に通勤アワーに乗りましたが、やはり混んでいます。本当に会社勤めの方は凄いと思います。
向かった先は「寿福祉センター保育所」です。集まった子供達30人ほどでしょうか。とにかく想像以上にノリが良く、いろいろな動きや、小道具にことごとく反応し喜びます。とても良いお客さんです。いずれ映像を見せられるようにしたいと思います。生活保護受給者が、70パーセント以上占めるというこの地域のイメージですが、子供は皆可愛くて元気です。周りの環境で不自由になる子供がいるということは忘れてはなりません。

私自身いつも「衝動」を大切にしています。衝動とは「心が魅かれる」ことです。
子供たちが町で踊り、いずれそこの地区にいる生活保護を受けているおじさん達が踊る、もしくはその子供達が踊りを教えると面白いと思うことが衝動です。それらは私の心魅かれることであります。つまり正直に言えば良いことがしたいと思っているのではなく、ダンス芸術によって生まれるまだ見ていない世界が見たいのです。私のダンス遍歴は18才で踊りを習い始めて人前で踊ることに喜びを感じ、さらに大きな場所へとテーマパークで踊り、メディアで踊り、海外など舞台で踊り、現在に至ります。
とにかく衝動がどんどん変わりました。もちろん喜び、挫折や、飽きること、迷いは数多くありました。たどり着いた現在は一番お金にならないことですが、社会から逸脱してしまった人たちの感覚は自分自身の表現をも成長させる力でもあり、私の抱えるテーマを社会に伝えるためには必要な存在なのです。もちろんこれは私自身の衝動であり、他の人には押し付けるものではありません。

人は純粋なそのときの衝動をとにかく大切にすることが喜びの始まりだと思います。

子供達の純粋な衝動は、とにかくまずは「動きたい」そのものに尽きます。生まれて自分の身体に出会い、その身体が思い通りに歩いたり走ったりできることは、子供にとって強烈な喜びです。又自身の内側からとめどなく湧き出るエネルギーをとにかく動いて発散することが自然なのです。そして衝動は変化をしていきます。「動きたい」の先に行くのです。そこからはそれぞれの世界が広がります。

自分の内面(心)に素直になれることは、踊りに限らず人間には必要なことだと思います。

人間は他人を見て成長します。周りが魅力的に写りいろいろなことが良く見え、自分が解らなくなる事があります。でもそれはいろいろなものを吸収しようとする証であり、自分に必要でないものはいずれ大して気にならなくなるでしょう。しかしそれはいかに自分の内側(心)に素直になれるかで変わってきますが・・

つまり踊るということは自分の内側(心)に目を向けることに繋がります。お客さんの前に一人で立てば、全てが丸裸になります。嘘をつけばばれます。形だけではなく心も同じにすることが大切です。
つまり愛情の表現なのに、形だけ愛情の形をすれば良いだろうなんて考えでは、人の心をつかむことは程遠いでしょうし、お金を払った方に失礼です。(もちろんお金をもらって踊っていこうと思えばという話です。)つまり表現を突き詰めれば、おのずと自分の内面と向き合うしかありません。

他人を悪く言う人間であれば、愛情の表現を踊ることは難しいでしょう、その場合は3択です。
1、自身が他人に愛情を持てるように努力する
2、愛情の表現は止め、他人をおとしめる表現をみせる
3、ごまかして表面的に踊る。
私は2番目でも自身に素直であれば良いと思います。これは芸術として見たいと思います。3番目の選択は自身を一番苦しめることになりますし、その踊りに輝きは無いでしょう。良い人になれと言っているのではなく、自己と向き合って、自分をどうしたいかという意思を大切にすることなのです。

これは「自己と向き合う力」であり踊りの持つ要素の一つです。

踊りによって育まれるものは他にもかなりあります。
「ダンス技術」「肉体への可能性の挑戦」「健康保持」「リラクゼーション」「協調性」「コミュニケーション」「創造力」「想像力」「情操力」(感情豊かな心、優れたものに感動する心)「美意識」「性」(男性女性の骨格の差、踊りによる男女コミュニケーション)「異文化」(海外、外国人との違い、文化の違い、身体コミュニケーション)「解放」「伝達手段としての身体」他・・

それぞれの例は又そのうち触れられると良いですが、とにかく「人間成長」へと繋がるたくさんの要素があります。そして子供だけでなく、周りの環境、私自身や親も共に成長していく事が大切だとつくづく感じます。

人を理解することは大切です。通勤ラッシュは嫌ですが私にとっては時々乗るべきかもしれませんね。

2012年1月30日月曜日

親のための「子供の踊り」について ~転ぶ~

私が小学生だった頃、このまま永遠に小学校生活が続くのかな?と感じるほど途方に長く感じた記憶があります。世の中には自分の知らない刺激的なものが溢れ、毎日がその新しい刺激と出会ってきた証拠なのかもしれません。年を重ねての習慣的で単調な一日などは、驚くほど時間の経つ速さを感じます。そんな日はなんとなく一日を損した気になります。

こども達の成長は驚くほど早く、数年で身長や、顔立ち、内面はあっという間に変わって驚きます。
人は生まれてから寿命まで刻一刻と変化をし続けていますが、いかにその変化に伴って自分自身を対応させていけるかが将来において必要な事だと感じています。

世の中の変動はとても早く、町並みはもちろん、流行の髪形やファッション、物価、など数年に瞬く間に変化をしました。

世の中は変動し、自身も年を重ねていけば、考え方や価値観も柔軟に変わって行くことが自然なことだと思っています。つまり今かっこ良いと思っていることが10年後にはそう思えなくなるかもしれません。今大切だと思うことが10年後には大切でなくなる可能性が大いにあるのです。ライト兄弟が初めて有人動力飛行に成功したのは1903年であり、たったその66年後の1969年には人類は月に行きました。その展開は驚く速さです。おそらくその一世代の常識や価値観は66年前とは大きく違っているはずです。

大切なのはいかにその変化に内面が伴っていけるかということです。もちろん変わらずに文化を守ることや、逆にその時代の流行や、注目していることをすぐさま取り入れることも一つの手であるのかもしれませんが、大切なことは、その時代に必要なものを感じて、自分で判断し創りだせる力になると思います。

我々は、生まれてから日々発見をして、学校ではいろいろな事を学ぶことの出来る環境にいます。
しかし、その学んで吸収したものはあくまでも素材であり、その素材をいかに利用、変換し、将来で活かせるかが大切なことであり、その作業は生きる躍動です。

ダルビッシュ投手はメジャーへ行く理由の一つに「対戦相手から、試合前に打てないとか無理だとか冗談でも聞いて、フェアな対戦をしていないのではないかと引っかかっていた」と述べ、これを受けて「モチベーションを保つのが難しくなっていた」と語っています。対戦相手の保守的な言葉からは、躍動は感じられません。当初はメジャーに行く気はないといっていたダルビッシュ投手ですが、純粋に躍動を得るためにモチベーションを求める姿は、人としてとても自然な姿だと感じます。

子供達は、転げまわろうが、変な動きだろうがいっこうにかまわず、楽しんでいます。純粋に身体を動かし、踊るという喜びが溢れています。しかしながら中高生辺りになるとどんな動きでも楽しんで動く子は圧倒的に限られ、年を重ねるごとに苦手なことや、恥ずかしいことを回避して行く傾向があります。もちろん自分の好きな形式の追求は悪いことではありませんが、無意識に体裁や自身の見栄えに執着することに気持ちは多く傾きます。これは踊りに限らずにあると思います。
価値観を変える事は成長するにつれどんどんと、難しくなって行きます。なぜそうなのでしょうか、そこには自身の培って信じてきた道があり、プライドがあり、知らない世界へ飛び込むには勇気も必要です。ストレスです。
私自身も30代の最初まで、良いこと悪いこと、やりたいこと、いやなことが明確に自身の中に刻まれていました。しかしわたしにとってそれらは、自由という芸術の本質と向き合ったときに、とてつもなく不自由にしてしまう偏りそのものでした。私は人であり機械ではありません、そこに「生きている姿」を人前にて見せることが、今、内容云々の前に必要であると感じています。

どのようなことにも良い面、悪い面があり、細部にとらわれれば、守り、立ち止まってしまうでしょう。
世の中は変わります、その中でいろいろなことを吸収せず、立ち止まることはとても不自然なことだと感じます。 学んできたことを覆さなくてはならない瞬間もあるということも覚悟しなくてはなりません。考えを変える事は当たり前のことであり、恥ずかしいことでも何でも無いと思っています。


純粋な喜びは圧倒的に成長する力を生み出すと感じます。




2012年1月16日月曜日

メメント・モリ

2012年となりました。
慌しい年末が過ぎ、瞬く間に新年が始まりました。

時事ですが、毎年恒例の日本漢字能力検定協会による
今年の漢字は「絆」ということです。
前年(2010年)の過去最高応募者数、28万票を21万票も上回り
49万6997票もあったそうです。ちなみに2位は「災」3位は「震」ということでした。2位3位はストレートです。当然、震災がインパクトのある出来事の表れだと感じます。

東日本大震災において一番の安否確認は「家族」
の次に「友人」へと続きました。まさに家族間の絆、
人との絆を再確認した年でした。
13日付の産経新聞にも「絆」について論説がありましたが、
戦後の日本における家族の絆は確固たるものがあり、
実は絆という言葉自体が特別なものではなかったということです。
確かに現代では先祖代々の家継を重んじるという意識は
一般的に薄れました。

おそらくおじいさんばあさんなどから離れて家族が暮らすといった、
核家族の増えた日本は、仕事の分散や、生活の便宜性以外にも、
家族の絆を重んじてきた堅苦しさの反動と言えるかもしれません。
しかしその背景にはもう少し人間の本質を感じます。
歴史小説や、歴史を扱った話を見ても分かりますが、
戦国時代における家系に関しての重要性や、執着はすざましいものがあります。
争と天災の違いといえどもやはり身の危険を常に感じる生活、
生死に密着した状況では、種を残す生命的な本能は、
絆は確固たるものであるといえるのかも知れません。

現代の日本人の生活は豊かで平和です。
途上国や治安の悪い国から戻った瞬間などには第一に感じます。
それであるが故に人との関係が薄くても生きてゆけるのです。
死者、行方不明者合わせ2万人近い今回の震災がもたらした衝撃は、
個々のつながりの必要性を改めて認識をさせられる出来事であると感じています。

やはり平和が当然となっている戦後に生まれた世代にとっては、
もっと「死を常に意識をして生きる」シフトへの移行をすべきなのかも知れません。メメント・モリです。(もちろんこれはすでに十分に死を背負って生きている方へ宛てた言葉ではありません。)

死はネガティブなこととして触れないようにするのが、
良いとは思いません。インドのガンジス河では平然と死体が焼かれ、
日常には当たり前のこととして誰もが目にする光景でした。
路上では、余った食べ物などは自分より貧しい人へ分け与えることが
当たり前となり、同時に施しを受ける側も当然のように受け取っていました。文化的背景なのか、死を受け入れた当たり前のことなのか、絆という言葉自体が存在しないようにも思えます。普遍的な心に残る戯曲や物語には必ずといって良いほど死が描かれます。死から程遠い明るい物語は瞬間的な楽しさはありますが、深い喜びと悲しみがあって始めて、深い人間の本質を見ることが出来る気がします。

生命体にとって豊かで平和なことが特別なのです。
死をごまかす事無く、いつ訪れてもおかしくは無い事として
受け入れ毎日を過ごすことが、絆を深め、
より自然で本質的な生き方になるように感じます。



自分自身は何をすべきか感じ考えながら、
日一日を大切にしたいと思います。


今年もよろしくお願いいたします。