2012年1月16日月曜日

メメント・モリ

2012年となりました。
慌しい年末が過ぎ、瞬く間に新年が始まりました。

時事ですが、毎年恒例の日本漢字能力検定協会による
今年の漢字は「絆」ということです。
前年(2010年)の過去最高応募者数、28万票を21万票も上回り
49万6997票もあったそうです。ちなみに2位は「災」3位は「震」ということでした。2位3位はストレートです。当然、震災がインパクトのある出来事の表れだと感じます。

東日本大震災において一番の安否確認は「家族」
の次に「友人」へと続きました。まさに家族間の絆、
人との絆を再確認した年でした。
13日付の産経新聞にも「絆」について論説がありましたが、
戦後の日本における家族の絆は確固たるものがあり、
実は絆という言葉自体が特別なものではなかったということです。
確かに現代では先祖代々の家継を重んじるという意識は
一般的に薄れました。

おそらくおじいさんばあさんなどから離れて家族が暮らすといった、
核家族の増えた日本は、仕事の分散や、生活の便宜性以外にも、
家族の絆を重んじてきた堅苦しさの反動と言えるかもしれません。
しかしその背景にはもう少し人間の本質を感じます。
歴史小説や、歴史を扱った話を見ても分かりますが、
戦国時代における家系に関しての重要性や、執着はすざましいものがあります。
争と天災の違いといえどもやはり身の危険を常に感じる生活、
生死に密着した状況では、種を残す生命的な本能は、
絆は確固たるものであるといえるのかも知れません。

現代の日本人の生活は豊かで平和です。
途上国や治安の悪い国から戻った瞬間などには第一に感じます。
それであるが故に人との関係が薄くても生きてゆけるのです。
死者、行方不明者合わせ2万人近い今回の震災がもたらした衝撃は、
個々のつながりの必要性を改めて認識をさせられる出来事であると感じています。

やはり平和が当然となっている戦後に生まれた世代にとっては、
もっと「死を常に意識をして生きる」シフトへの移行をすべきなのかも知れません。メメント・モリです。(もちろんこれはすでに十分に死を背負って生きている方へ宛てた言葉ではありません。)

死はネガティブなこととして触れないようにするのが、
良いとは思いません。インドのガンジス河では平然と死体が焼かれ、
日常には当たり前のこととして誰もが目にする光景でした。
路上では、余った食べ物などは自分より貧しい人へ分け与えることが
当たり前となり、同時に施しを受ける側も当然のように受け取っていました。文化的背景なのか、死を受け入れた当たり前のことなのか、絆という言葉自体が存在しないようにも思えます。普遍的な心に残る戯曲や物語には必ずといって良いほど死が描かれます。死から程遠い明るい物語は瞬間的な楽しさはありますが、深い喜びと悲しみがあって始めて、深い人間の本質を見ることが出来る気がします。

生命体にとって豊かで平和なことが特別なのです。
死をごまかす事無く、いつ訪れてもおかしくは無い事として
受け入れ毎日を過ごすことが、絆を深め、
より自然で本質的な生き方になるように感じます。



自分自身は何をすべきか感じ考えながら、
日一日を大切にしたいと思います。


今年もよろしくお願いいたします。

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