2012年1月30日月曜日

親のための「子供の踊り」について ~転ぶ~

私が小学生だった頃、このまま永遠に小学校生活が続くのかな?と感じるほど途方に長く感じた記憶があります。世の中には自分の知らない刺激的なものが溢れ、毎日がその新しい刺激と出会ってきた証拠なのかもしれません。年を重ねての習慣的で単調な一日などは、驚くほど時間の経つ速さを感じます。そんな日はなんとなく一日を損した気になります。

こども達の成長は驚くほど早く、数年で身長や、顔立ち、内面はあっという間に変わって驚きます。
人は生まれてから寿命まで刻一刻と変化をし続けていますが、いかにその変化に伴って自分自身を対応させていけるかが将来において必要な事だと感じています。

世の中の変動はとても早く、町並みはもちろん、流行の髪形やファッション、物価、など数年に瞬く間に変化をしました。

世の中は変動し、自身も年を重ねていけば、考え方や価値観も柔軟に変わって行くことが自然なことだと思っています。つまり今かっこ良いと思っていることが10年後にはそう思えなくなるかもしれません。今大切だと思うことが10年後には大切でなくなる可能性が大いにあるのです。ライト兄弟が初めて有人動力飛行に成功したのは1903年であり、たったその66年後の1969年には人類は月に行きました。その展開は驚く速さです。おそらくその一世代の常識や価値観は66年前とは大きく違っているはずです。

大切なのはいかにその変化に内面が伴っていけるかということです。もちろん変わらずに文化を守ることや、逆にその時代の流行や、注目していることをすぐさま取り入れることも一つの手であるのかもしれませんが、大切なことは、その時代に必要なものを感じて、自分で判断し創りだせる力になると思います。

我々は、生まれてから日々発見をして、学校ではいろいろな事を学ぶことの出来る環境にいます。
しかし、その学んで吸収したものはあくまでも素材であり、その素材をいかに利用、変換し、将来で活かせるかが大切なことであり、その作業は生きる躍動です。

ダルビッシュ投手はメジャーへ行く理由の一つに「対戦相手から、試合前に打てないとか無理だとか冗談でも聞いて、フェアな対戦をしていないのではないかと引っかかっていた」と述べ、これを受けて「モチベーションを保つのが難しくなっていた」と語っています。対戦相手の保守的な言葉からは、躍動は感じられません。当初はメジャーに行く気はないといっていたダルビッシュ投手ですが、純粋に躍動を得るためにモチベーションを求める姿は、人としてとても自然な姿だと感じます。

子供達は、転げまわろうが、変な動きだろうがいっこうにかまわず、楽しんでいます。純粋に身体を動かし、踊るという喜びが溢れています。しかしながら中高生辺りになるとどんな動きでも楽しんで動く子は圧倒的に限られ、年を重ねるごとに苦手なことや、恥ずかしいことを回避して行く傾向があります。もちろん自分の好きな形式の追求は悪いことではありませんが、無意識に体裁や自身の見栄えに執着することに気持ちは多く傾きます。これは踊りに限らずにあると思います。
価値観を変える事は成長するにつれどんどんと、難しくなって行きます。なぜそうなのでしょうか、そこには自身の培って信じてきた道があり、プライドがあり、知らない世界へ飛び込むには勇気も必要です。ストレスです。
私自身も30代の最初まで、良いこと悪いこと、やりたいこと、いやなことが明確に自身の中に刻まれていました。しかしわたしにとってそれらは、自由という芸術の本質と向き合ったときに、とてつもなく不自由にしてしまう偏りそのものでした。私は人であり機械ではありません、そこに「生きている姿」を人前にて見せることが、今、内容云々の前に必要であると感じています。

どのようなことにも良い面、悪い面があり、細部にとらわれれば、守り、立ち止まってしまうでしょう。
世の中は変わります、その中でいろいろなことを吸収せず、立ち止まることはとても不自然なことだと感じます。 学んできたことを覆さなくてはならない瞬間もあるということも覚悟しなくてはなりません。考えを変える事は当たり前のことであり、恥ずかしいことでも何でも無いと思っています。


純粋な喜びは圧倒的に成長する力を生み出すと感じます。




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