2012年2月25日土曜日

栃木ステージラボ

地域創造という財団法人があります。この機関は1994(平成6)年に設立され、地域における文化・芸術活動を担う人材の育成や、公立文化施設の活性化を図るための各種支援事業(音楽・ダンス・演劇・邦楽・美術・助成)など、多彩なプログラムを実施しています。
23日木曜にこの財団のプログラム「栃木ステージラボ」に、私は講師として話をしてきました。「ステージラボ」とは、公立文化施設等の職員を対象に、事業の企画制作、施設運営、地域との関わりなど、ホール、劇場等のソフト運営に欠くことのできない要素を体得するための研修で財団設立当初より、全国で開催され続けています。簡単に言えば地方の劇場やホールの運営を考え、人材を育成するゼミです。

今日は都市に文化や芸術は集中していますが、地方の劇場の状況をしっかりと考えることは大切であり、自分の住んでいる東京が豊かならそれで良いわけでなく、文化、芸術の力で地方も豊かにしていかなくてはなりません。(東京の人間が豊かといえば定かでありません、芸術が豊かにあることは確かですね。)九州、愛知、岐阜、熊本、大分・・日本各地の劇場、ホールの職員の方たち15名ほどの参加者に私の活動、芸術観を話し、その後ディスカッションを行なってきました。ゼミに参加した職員の方たちは、素直に自身と向き合い、向上心を持ち臨んでいる姿が印象的でした。

我々は作品を創る側、ダンサー側の視点で芸術を捉えがちですが、劇場やホール側の視点に立ってみると又違った発見があります。劇場やホールは単に観客の見込める大型作品や、団体を呼べば良いというものではありません。劇場やホールが主体となり地域の住民に芸術を提供する、芸術で地域を豊かにすることの必要性に大きく視点を置いています。これらはアウトリーチと呼ばれ、手を差し伸べるという意味合いです。そして人のつながり、地域と人のつながり、都市と地域とのつながりを創り上げる、つまりコミュニティの大切さに重要性を置いています。

これらの例としては、地方劇場に都市からアーチストを派遣して、一般の参加者を募り、ワークショップ等を行い、発表したりする形がよくあります。私も2010年、岐阜の多治見市文化会館の企画で呼んでいただき、一般公募の素人やダンサーを集め、数週間かけワークショップを行い、舞台公演を行いました。短期間ですが、参加者の技術だけではなく、内面の成長や、他人との関係の変化が見えたときに企画価値を肌で感じることが出来ました。これらはダンスのみならず、音楽や、伝統芸、絵画などさまざま行なわれていますが、まだまだ身体を動かし表現をする踊りの効果が一般へ浸透できるように思えます。

ちなみにイギリスなどでは精神疾患や、運動不足に医者がダンスを進めるほどダンスが生活に密着しています。刑務所では演劇やダンスでの更生プログラムは当たり前ですし、薬物使用者や、アルコール中毒者の更生施設にもダンスを取り入れ、国が後押しをしてお金を出すほどです。そう考えると日本のダンスは一般の人には抵抗あるものとして捉えられている印象は強くあります。別にこれは駄目なことではなく日本人の気質であり、国民性であると思います。
必要なのは今の日本をしっかり捉えることです、そして日本の国民性を考え地域の良さを打ち出し、誰もが身近にできる企画を打ち出せる人材なのです。

参加者のアイデアで「地方の知られざる名所を市民がアピールして踊る」のはどうだろうというのがありました。これは良いと思います。地方の良さをアピールするために踊る使命感は頑張れます。ましてや他の地方も同じようにやり、ユーチューブなどにのせてもそれぞれの特色が見られて良いと思いますし、難しいことをやる必要もなく地域住民の出演協力は得られやすいでしょう。「学校の校歌に振付をする」というのがありました。これはアーチストが先導し生徒達に創らせると様々な良い効果があるはずですし、各学校での校歌の違いも見たくなります。

今回、地域の劇場、ホール側の視点で社会を見たときに、様々な社会問題を防ぐことが出来ない要因の一端は自分達にあるという意識を持つことがまず必要だと感じました。様々な社会問題はその社会を構成している全ての人間の責任であると思います。つまり芸術にたずさわる人間はその意識を持って、社会問題を改善できるほどの芸術を作り、提供するというモチベーションの強さがあることが大切です。誰をも魅了する芸術を目指すことです。別に内容が重く真面目なものを提供しなくてはならないのではありません。面白くても、変でも良いのです。芸術の力で地方を活性化し、孤立のない社会を目指すことの大切さを改めて感じました。

コーディネーターのJCDNの代表である佐東さんは「ボリューム感が必要」と話していたのが印象に残っています。つまりアーチストや、施設単体それぞれの力は大きく物事を動かすには弱いものです。しかし同じ意思を持ち同時に各地で何か行なうことができれば、そこから生まれるものは遥かに強烈な力になるはずです。今は、私自身、アーチスト同士も実は孤立しているように思えます。基本的にアーチストは個人であるべきだと思います。劇場も個々の色合いは強く持つべきで、何から何まで統一する必要はありませんが、アイデアを共有し、アーチスト同士、施設同士のつながりが出来たとき、孤立のない社会への導入の輝きが見えるのかもしれません。


地域創造HP http://www.jafra.or.jp/

2012年2月12日日曜日

親のための「子供の踊り」について ~衝動~

先日2月10日、横浜寿町の保育園児の前で踊ってきました。
朝10時から始めるため自宅から1時間以上かけ石川町へ向かいました。
久々に通勤アワーに乗りましたが、やはり混んでいます。本当に会社勤めの方は凄いと思います。
向かった先は「寿福祉センター保育所」です。集まった子供達30人ほどでしょうか。とにかく想像以上にノリが良く、いろいろな動きや、小道具にことごとく反応し喜びます。とても良いお客さんです。いずれ映像を見せられるようにしたいと思います。生活保護受給者が、70パーセント以上占めるというこの地域のイメージですが、子供は皆可愛くて元気です。周りの環境で不自由になる子供がいるということは忘れてはなりません。

私自身いつも「衝動」を大切にしています。衝動とは「心が魅かれる」ことです。
子供たちが町で踊り、いずれそこの地区にいる生活保護を受けているおじさん達が踊る、もしくはその子供達が踊りを教えると面白いと思うことが衝動です。それらは私の心魅かれることであります。つまり正直に言えば良いことがしたいと思っているのではなく、ダンス芸術によって生まれるまだ見ていない世界が見たいのです。私のダンス遍歴は18才で踊りを習い始めて人前で踊ることに喜びを感じ、さらに大きな場所へとテーマパークで踊り、メディアで踊り、海外など舞台で踊り、現在に至ります。
とにかく衝動がどんどん変わりました。もちろん喜び、挫折や、飽きること、迷いは数多くありました。たどり着いた現在は一番お金にならないことですが、社会から逸脱してしまった人たちの感覚は自分自身の表現をも成長させる力でもあり、私の抱えるテーマを社会に伝えるためには必要な存在なのです。もちろんこれは私自身の衝動であり、他の人には押し付けるものではありません。

人は純粋なそのときの衝動をとにかく大切にすることが喜びの始まりだと思います。

子供達の純粋な衝動は、とにかくまずは「動きたい」そのものに尽きます。生まれて自分の身体に出会い、その身体が思い通りに歩いたり走ったりできることは、子供にとって強烈な喜びです。又自身の内側からとめどなく湧き出るエネルギーをとにかく動いて発散することが自然なのです。そして衝動は変化をしていきます。「動きたい」の先に行くのです。そこからはそれぞれの世界が広がります。

自分の内面(心)に素直になれることは、踊りに限らず人間には必要なことだと思います。

人間は他人を見て成長します。周りが魅力的に写りいろいろなことが良く見え、自分が解らなくなる事があります。でもそれはいろいろなものを吸収しようとする証であり、自分に必要でないものはいずれ大して気にならなくなるでしょう。しかしそれはいかに自分の内側(心)に素直になれるかで変わってきますが・・

つまり踊るということは自分の内側(心)に目を向けることに繋がります。お客さんの前に一人で立てば、全てが丸裸になります。嘘をつけばばれます。形だけではなく心も同じにすることが大切です。
つまり愛情の表現なのに、形だけ愛情の形をすれば良いだろうなんて考えでは、人の心をつかむことは程遠いでしょうし、お金を払った方に失礼です。(もちろんお金をもらって踊っていこうと思えばという話です。)つまり表現を突き詰めれば、おのずと自分の内面と向き合うしかありません。

他人を悪く言う人間であれば、愛情の表現を踊ることは難しいでしょう、その場合は3択です。
1、自身が他人に愛情を持てるように努力する
2、愛情の表現は止め、他人をおとしめる表現をみせる
3、ごまかして表面的に踊る。
私は2番目でも自身に素直であれば良いと思います。これは芸術として見たいと思います。3番目の選択は自身を一番苦しめることになりますし、その踊りに輝きは無いでしょう。良い人になれと言っているのではなく、自己と向き合って、自分をどうしたいかという意思を大切にすることなのです。

これは「自己と向き合う力」であり踊りの持つ要素の一つです。

踊りによって育まれるものは他にもかなりあります。
「ダンス技術」「肉体への可能性の挑戦」「健康保持」「リラクゼーション」「協調性」「コミュニケーション」「創造力」「想像力」「情操力」(感情豊かな心、優れたものに感動する心)「美意識」「性」(男性女性の骨格の差、踊りによる男女コミュニケーション)「異文化」(海外、外国人との違い、文化の違い、身体コミュニケーション)「解放」「伝達手段としての身体」他・・

それぞれの例は又そのうち触れられると良いですが、とにかく「人間成長」へと繋がるたくさんの要素があります。そして子供だけでなく、周りの環境、私自身や親も共に成長していく事が大切だとつくづく感じます。

人を理解することは大切です。通勤ラッシュは嫌ですが私にとっては時々乗るべきかもしれませんね。