2012年3月4日日曜日

親のための「子供の踊り」について ~木を見るだけでなく森を見るということ~


数年前に古本屋で中学の歴史の本を見つけ、気に入っているページです。
(扶桑社より市販されています。)
1センチが100年。2012年の今は20センチ過ぎです。150年前はまだチョンマゲですから、これで見ればつい最近のことに感じます。



(画像が見えづらくすみません。)
イタリアでのバレエの発生が16世紀、上の16Cの辺りですからバレエは400年も前の長い歴史があり、その時代の日本は、織田信長や秀吉や家康が生きていた時代を過ぎたくらいと考えると、西欧とあまりにもかけ離れた日本の姿であったと深々感じます。ちなみにストリートダンスはもっと後になり20世紀の後半辺りからの発生です。さて日本においては1945年の終戦からアメリカ文化が大きく入り込み、文化も急速に変貌しました。そして交通手段の大幅な進歩により人は世界に往来、今ではテレビやインターネットの情報は瞬時に世界を駆け、この50年ほどで急速に大変貌しました。
いかがでしょうか?
50年は年表の5ミリです。私はなんだか急な印象を感じます。近年は、何か社会まるごとがスピード化し、人間もその社会に追われているように感じます。どんどん周りに振り回され、流されているのが現状ではないでしょうか。人間はいったい幸せに向いたいのか、不幸に向かいたいのらなくなるときがあります。

大人だけでなく、いそがしい子供も増えました。最近は学校に言って習い事を3つ4つ抱え、熟にも行っている子が増えたと聞きました。安心できる未来のためです。それは不安を感じさせる今の社会では末来の不安を感じるのは当然とも思えます。しかしどうも末来の準備に毎日追われてしまうことは、毎日を作業的にこなすだけになる恐れが大いにあり、物事に心を動かす暇がなくなるように思います。詰め込みすぎるのも程ほどにしないといけません。瞬間を味わい、瞬間に心を動かすことが出来なくなるということは、人間として不自然なことだと思います。心と身体のバランスが取れない情動障害は近年増え、ましてやうつ病になる人の数は2002年より増え続け1996年の45万人に比べると現在は100万人以上となり、減少の気配はありません。私自身、これは社会のスピード化による大きなコストであると思っています。

我々は表で言えば所詮1センチに届かないほどの寿命です。落ち着いてふと自身と向き合い、その限られた中で何をするべきかを考えるには、この表は良い素材であると思います。「木を見るだけでなく、森を見てほしい」とありますが、たしかに森を見ると今まで見えなかったものも見えてくると思います。

もっぱら自身に関しては無意識に「機を見る」時間が増えたことは、いかがなものかと思っています。

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