2012年9月12日水曜日

宮城 被災地でのワークショップと子供たち 後編

 

二日目の朝は、荒浜小学校の子供たちとのワークショップでした。

こちらの小学校校舎は、被災して現在は使用できない状態です。
海より700メートル傍にある小学校で、瓦礫など片付いてはいましたが、校舎は壊れ津波の跡が残っているままでした。現在は被害の少なかった逢隈小学校に間借りをして授業を行っている状態です。今回はこの荒浜小学校の学童保育クラスでのワークショップでした。

学童保育は、労働などの事情により昼間保護者が家庭にいない小学生の児童に対し、放課後など保護者に代わって行う保育を指しています。学童保育の子供たちに対し授業を行うのではなく共に時間を過ごし、子供たちの生活の場を作り、勉強や遊び、行動をサポートすることが目的となります。今回はダンスをやりたいといって集まってきた子供たちではないのが1日目と違うところです。

中~高学年の子供たち数十人、ワークショップを行う体育館に来るとすぐに走り回り、子供たちみんなを集めてワークショップを始めるまでにもう私は汗まみれでした。「集合!」といってもそれぞれ自分のやりたいように行動しています。遠く離れて座って見ているだけの子もいます。ウンコなどと叫びながら走り回る子も数人います。内面の言葉にできない衝動を表に出すことは人にとって大切です。しかしその子たちはウンコの踊りを踊りたいのではなく、自身の内にある衝動のかたまりが大人の注意を引く反発だったり、そわそわしたものだったり、うまく言葉にできない内面が形にとなっているようでした。

なんとか挨拶とそれぞれの自己紹介を済ませ、準備運動。子供たちはつまんないと思えばやらず、面白いと思えば傍に寄ってきます。彼らに自分の物まねをさせてみます、見てるといわゆる変な形などを子供たちは喜んで真似をして、とにかくすぐにふざけたがります。そして参加した子供たちの目的は、かっこいい形や上手に踊りが踊れることでなく、それ以前のものに感じました。実は子供たちは一緒にふざけながらいろいろな動きをしている"私を見ている”のではないでしょうか。

「この人はどんな人か、表面的なのか、安心できるのか。・・」と、私には子供たちがそんなことを考えているように感じました。子供が成長したいという意思は、まず安心して生きてるということが土台として必要であると思います。それは大人も同じです。だれもが安心を渇望し、そしていつまでも安心を求めて日々彷徨っていると思います。

”安心は物質ではなく愛情です。”

荒浜小学校の子供たちは、地震の起こった時刻は、ちょうど下校をしようとしているときだったと聞きました。それから校舎へと非難をし、およそ70分後に津波が押し寄せてきたとのことです。子供たちと教師、周辺地域の人たち合わせおよそ300数十人の方たちは屋上で周りが波に埋もれていく衝撃的な時間を体験しました。その日のうちにヘリコプターでの救出が始まったとのことですが、ホバーリングしての救出は時間を要します。電気の消えた暗闇の中、石油タンクの燃えさかる炎がぼんやり辺りを照らしていたといいます。強烈な非日常の世界です。最後に消防団や校長先生が救出されたのは次の日の午後とのことでした。

・・・今現在、子供たちにはまだまだ愛情が必要です。子供たちが何かを学び成長をしていく以前に確固たる愛情を求めているように思えました。子供たちの強烈な震災体験という身体の記憶は、周りが消そうとするのではなく、その記憶丸ごと彼らをつつんであげることが大切です。そしてそのうえで芸術の持つ自由性により、彼らの内側に踊る喜びという新しい記憶を作っていく事が私の役割だと強く感じました・・。さて参加した子供たちの集中は1時間でした、そのあとは勝手気ままになりました。子供たちに”踊り”をきちんと提供できたのかどうか正直解りません。私自身、まだまだ子供たちにできる事はあったはずであると思いますし、もっともっとひきつける踊りができたのではないか・・というのが本心です。

ワークショップ後、私の傍に最後まで参加しなかった男の子が来ました。
「参加したくなったら一緒にやろう」と彼に声をかけてはいましたが、結局その男の子はずっと見ているだけでした。その男の子が終了後、傍に来て「又来る?」と私に言いました。「遠いからすぐは無理かもしれないけど、又来たいよ。」と答えると、その子はだまって帰っていきました。彼の言葉の意はまた来てほしいのか、もううんざりということなのか、その一言では解りませんが、”又来てほしいと思っている”と私は都合よく解釈したほうがそれ以上落ち込まずに済みます・・今回のワークショップの成果の一つとして受け止めることにしました。

昨日で震災からちょうど1年半です。
今回の震災で”絆”という言葉がクローズアップされました。近代まれにみる今回の震災で、我々は確かに”絆”の大切さを再認識し、未来へ進まなくてはなりません。しかし我々日本人はすぐに形式に目を向けてしまいます。”絆”という形式をただ作ればいいというものではなく、絆の重要素である”愛情”の認識が大切であると思います。部分的な被災地だけの修復ではなく、もっと大きい範囲での改革、根本的に今までとは違う価値観を持って生きることとは、”愛情”の重要性の再認識ではないかと思います。

自身、配偶者、家族、友達、仲間、物、動植物、他人、国、世界、地球まで様々なものに対する”愛情”を重要視をした個人育成、及び社会創りを目指すこと。これは全国の大人誰もが出来ます。当たり前に思えますが、不安に包まれた社会やそこで生きる人々の姿は愛情に包まれているとは思えません。本当の再建とはとても身るるな事であり逆にとても困難だと思います。

私の接した逢隈小、荒浜小の子供たちを引率してる大人は、形式やマニュアルでなく子供たちに何が必要かをしっかりと考え、静かに寄り添い、愛情に裏付けされた子供たちへの繋がりが見えました。これは子供たちだけでなく、先生同士、又外部に対しても協力をし合う関係は同じでした。
とても人間本来の自然な美しい姿に見えました。もちろん小学校だけでなく被災地の再建には自ら被災しながらも活動している人たちの存在は本当に大きいです。

子供たちが大人や社会からの十分な愛情の元、安心して成長して行けることを願います。
とてもいろいろ気づかされる時間でした。もちろん又訪れたいと思います。

協力してくれた宇都宮大学の学生さん、そして長谷川真由美先生に感謝を申し上げます。

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