2012年10月28日日曜日

静岡ワークショップ 前編  ~熟年ダンスと循環~




10月19日~20日静岡でワークショップを行なってきました。初めての土地、人との出会いは、新しい発見と学びがあります。今回も全日刺激に溢れた時間でした。
今回は静岡市民文化会館のでの、市民ワークショップとデイケアセンターへの老人の方へ向けたアウトリーチ、JCDN(ジャパンダンスネットワーク)によるコーディネートにて行われました。

1日目はデイサービスセンター「久能の里」のお年寄りの方へ向けたワークショップからです。海岸沿いにあるベージュの外観の施設に入ると、吹き抜けのホールがドンと目の前に広がり日差しが明るい解放感ある空間です。通常はそのホールでさまざまな催し等行われており、体操やマッサージ、フラダンスなど外部の講師が訪れ、頻繁に身体を動かす事は行われているそうでした。ホールに集まった、おじいちゃんおばあちゃんは40名程、平均年齢は80歳位。歩くのも大変そうな方が多く、今回はイスに腰掛けた状態でのワークショップです。熟年のそれぞれの居ずまい、顔、手足の皺、歴史溢れる身体にはいつもながらついつい目を奪われてしまいます。人間の隠しようのないリアリティは、つくづく自分自身の表面的な部分を露呈し、一瞬にして蹴散らしてしまいます。この団体が皆一斉にグイグイ内側から踊りだす姿を想像すると痺れます・・。

自己紹介のあと、私のやりたいことを説明しますが、耳の遠い方も多く、「それぞれで踊りを創作したいと思います」と言っても、固まって私をじっと見ているだけです。訳も分からずはじめるよりもまずは最初に私自身の踊りを見てもらいました。おじいちゃん、おばあちゃん達と同じくイスに座ったままで使える身体部分を使い、身体を動かす喜びを感じ、伝えようと踊りました。上半身を縮めたりのばしたり揺らしたり、固めたり、無表情になったり音楽をかけて動かしました・・。ものの見事におじいちゃんおばあちゃんは拍手もせずにシーンと固まったままでした。拍手位はもらえると、思っていた自分自身に笑ってしまいます。まだまだ心をつかむ踊りが出来ていないということでしょう・・。しかしとにかくお世辞で拍手しない所が惹かれます。

さてそこからストレッチ、ウオーミングアップを行い、徐々に心身をほぐしていきます。参加者名簿を事前にもらっていたのですが、マサさん、シマさん、ヒサ子さんなど今の若者にはなかなかない名前が多く、そこから生きてきた想のつまった歴史を想像します。そこで今回はそれぞれの名前に含まれる自然やモノを表現することにしました。川が名前にあればどんな川なのか・・穏やかなのか、濁流なのか、澄んでいるのか、近所にあった川・・などなどイメージを質感として身体で表そうとします。とにかくは最終的にはそれぞれ独自の踊りを数名ずつ発表するまでにはたどり着けました。

私は思いますが、社会全体の目線で見て、年寄り=隠居生活ではなく、もっともっと表現をする機会を持ち、そしてなおかつきちんとその表現に対し喜んでもらったり評価をしてもらえる環境が必要じゃないかと感じています。我々は、日々様々なものを体に取り込んで排出しています。それは食べ物、呼吸に限らず、目に見えない刺激や、ストレスまで全てです。その身体に取り込んだモノは、排出することが健康体であり、きちんと排出する環境がなければ、どんどん身体に溜め込まれ体は澱んで辛くなるはずです。

年を重ねるごとに感動や、知識、経験や苦労など様々なモノが身体に取り込まれ蓄積され、それは歳を重ねた分だけ熟成した美しさとなるはずです。熟年の表現から伝わる感動を社会後継者たちが味わい、未来を育む力の変えていく事はまたひとつの自然な循環であるとも言えます。そしてその循環に乗ることでキラキラと命輝く年寄りの方は増えるのではないでしょうか。

ソケリッサ!のメンバーを見ていると、度合いは違いますがだんだん日常の表情が豊かになるのを感じます。メンバーは人前でそれぞれが受け入れられる環境にあり、その環境でお客さんの期待に答えるべくどんどん表現として排出をしています。したがってそれに伴い日常でもさまざまなモノを積極的に取り込んで行く必要を無意識のうち感じて動いているように思えます。そしてそれが様々なことに対しての興味となり、心を動かし吸収している姿が表情へ現れているように感じます。伺ったデイケアセンターは解放的でとてもおだやかな空間です。職員の方もおじいちゃん、おばあちゃんの表現を受け入れる器量もある方ばかりでした。表現を外に出す機会が増える事、出し方を導く先導者が側にいることで、きっと輝く景色はひろがるはずです。全員のグイグイ内側から踊りだす姿、その景色はぜひ見たいです。

ちなみに排出物=カスということではありません、取り込んだモノは身体の内側で形を変え、体外へ出て来る時には何かの役に立つようにできていると思います。呼吸や、便、もそうです。もし、何者にも役に立たないモノを排出しているなら、それはきちんと消化をしていないことかもしれません。私自身未消化のまま排出している事もあり、誰の役にも立たないものを出していることもあります。不味そうですが牛やらくだのように再び体に戻し、反芻することも良いかもしれません。

考えてみれば、いっさい何の得にもならないカスを排出することが人間の特技なら・・
カスは人間でいるためには必要なのでしょうか。これはまた時間をとって私の考えを書いてみたいと思います。

さてそのあと食べた生しらすはとても美味しく、ご飯にかけ、山盛り食べました。感動と栄養と食べる喜びは余すことなく活力へと身になりました。静岡の食べ物は美味しいです。

後編へ続く

2 件のコメント:

  1. 「この団体が皆一斉にグイグイ内側から踊りだす姿を想像すると痺れます」

    今後どうなっていくのは、レポート期待しています。

    返信削除