2012年11月3日土曜日

静岡ワークショップ 後編 ~市民ダンスとつながりの考察~



静岡ワークショップ、20日の後半は静岡市民文化会館での男性限定ワークショップ、翌21日は一般対象のワークショップへと続きます。

静岡文化会館は数年前よりJCDNと協力して振付家を呼び、一般参加者を募ってダンスワークショップを行っています。2011年からはコミュニティダンスプロジェクトと銘打ち、一般の参加者と数ヶ月間のワークショップ後、舞台公演を行いました。そして企画に興味を持って集まった一般の参加者は企画後に終息することなくコアメンバーを確立し、そのコアメンバー中心の元、地方での舞台公演企画への参加へ展開、今では実行委員会が立ち上がっています。今では団体自ら働きかけ振付家を呼びワークショップを行う展開へと進んでいることです。

素晴らしいのはいずれは団体独自による企画、振り付け作品制作を行い、最終的な手直しに振付家の手を借りる形まで行けるよう目指すなど、自立した意識を持っており、これは企画発案者、関係者の理想とする、ダンス芸術の力が大いに浸透した形だといえると思います。おそらくここまで市民参加者の意識を持っていった、今までワークショップを行ってきた振付師の方たち、静岡文化会館とコーディネートをするJCDNとの連携他、関係者の力量と功労を感じます。

そのエネルギー溢れる意識を感じながら、20日の後半に行われた男性限定のワークショップには20歳代前半~60歳代の8名が訪れてくれました。市民ダンサーとして活躍中のメンバーから、初経験者も数人います。また格闘技の段を持っていたり、会社員、デザイナーなどさまざまな職種と、それぞれの体つき・・そこから生み出した個々の発表する踊りはそこで終えるのが惜しいほどでした。とにかく顔が良い。その懸命に身体に向き合う姿を見ているとダンスにおける人間の魅力の向上、生活向上力などあらためて感じます。やはりダンサーにならずともたくさんの方にダンスを体験していただき、芸術と日常のつながりを体感してもらいたいです。ダンスの意義を感じます。


私がコミュニティダンスという名前を聞いたのが2010年、JCDN(ジャパンコンテンポラリーダンスネットワーク)の佐東さんからでした。ソケリッサ!の大阪公演に観に来て頂き、そこからお話を聞かせてもらったのが最初です。
コミュニティダンスとはダンスが貧富の差や、年齢、性別、障害の有無にとらわれることがなく、あらゆる人が楽しみ、暮らしの向上、人間育成の手助けを行うという活動です。英国ではコミュニティダンスの財団があり、既にシステム化が大きく進みほとんどのアーチストはコミュニテイ活動と作品の創作活動の両立を行っているようです。日本では学校や、障害施設にて活動しているアーチストと、作品創作を創作を主としているアーチストは少し離れている印象はありましたが、最近は両立するアーチストも出てきている印象を私は感じています。もちろん日本と英国におけるダンス文化は歴史や風土からみても当然異なった状況であり、日本ではダンスの持つ人間育成効果はまだまだ教育や生活へ浸透していないのが実情です。

ちなみにダンスにおける人間育成の指すものとしては、創造力、想像力、表現力、情操力、美意識の育成、リラクセーション、健康保持・・などが思いつくものですが、当然まだあるでしょう。そしてコミュニティの文字通り、つながりを育むのも大きな要素なのです。

さて、その翌21日は、まず一般参加のワークショップと、そのあとは私の活動を知ってもらうトークを行いました。

ワークショップに集まった参加者は男女合わせ17名、20歳代~80歳代まで幅広く、純粋に興味を持った方、4歳からバレエをしていた方、娘が踊りを習っていて負けないようにというお父さんや、エアロビ、ヨガ、ピラティス講師の方、型にはまった事が嫌いな方、自由な動きができない方、建築家、中学校の教師・・とにかくいろんな方が集まっていました。懸命にそれぞれの内側が外へ形になろうとする瞬間は、微生物が魚になるような根源的な命の躍動の姿の片鱗になりうるものだと思います。私は是非、さまざまな職業や、性格、その人物の歴史から、どんな動きが生まれるのか?とにかくそこを観察するダンスの楽しさもたくさんの方に知っていただきたいと思います。
また日常ではなかなか会えない人と出会いそこからコミュニテイが始まります。


ここで少しつながりについて考えてみたいと思います。

人の関係性が希薄になっている現代といわれ、最近「つながり」という言葉は、耳にする機会がとても増えました。大阪にいた私の子供の頃を思い返せば、確かに隣近所の付き合いも今の東京での暮らしに比べると濃かったな・・と感じます。近所の人がおすそわけを持ってきたり、逆に家から何かお返ししたり、困った時には助けてもらったり、家で母親が近所の人とお茶を飲みながらおしゃべりしていたり・・。もちろん全国においては、まだまだつながりが強い地域も多いと思いますが、核家族化による移住の増加、助けを必要としない便利になった暮らしなど、明らかに現代ではつながりの状況が違ってきています。

現在、特に東京は地方からの移住者が多くなるにつれ、よそ者意識がお互いに強く、なかなか隣近所との交流が難しいと感じます。(私自身も兵庫出身の東京ではよそ者でありますが、実は最近になって打破してみるべく地域の自治会へと入りました。まだ回覧板回す程度ですが・・。)

つながりが大切とは解っていながらも、現状に馴染むのが人の常です。生身での対人への距離感がある日常が当たり前となり、その中での対人バランスがインターネットなどに転換しているのでしょう。もしくはネットが先で、煩わしい対人関係を省略していったのが今日と言えるかも知れません。

SNSの王道的なフェイスブック利用者は最近はどんどん増え日本では2011年に1000万人を超えたそうです。興味深いことにそのうちの40%が東京に住んでいる人だそうです。完全に都市型です。純粋に都市部の人ほどネットを通してのつながりを必要としていることだと思います・・。私自身も登録しています。ここで人々がつながりを作っているのは一目瞭然で、おそらくたくさんの人達の生活の一部となり、すでに無くてはならないと思っている人も多いと思いでしょう。

実は最近そのフェイスブックにて気づいたことがあります。登録者は友達とつながり、友達や知り合いへ向け情報を流したり日常の出来事などを投稿しています。
面白い事にその投稿をよく見てみると、「近所の人がおすそわけを持ってきたなり、家で母親が近所の人とお茶を飲みながらおしゃべりしていたり・・。」という近所付き合いの状況ととてもよく似ていると感じました。

つまり昔で言う「おすそ分け」には、自宅の畑でできた野菜や、田舎から送って来た果物などありました。これはいうなれば「これが自分の能力の形です!」ということを、心を許した近所の仲間へ見せる行為であると思います。もっと距離が近くなれば、作りすぎた煮物なり、お菓子を焼いたから持ってきた、家で食事しましょう!などさらに手の混んだ物へ変わります。「私はのこの能力であなたを助けますよ」という意思に思えます。困った時には支え合う仲間となっているでしょう。

さてフェイスブックの投稿は、それぞれの特技が満載です。もちろん私も活動を見せています。時には自慢もします。人によってアートをしていれば作品を見せ、英語ができれば英語でも文章も書き、イベントを立ち上げればこんなのやりますよ!とお知らせをしています。内容によって受け取り側が必要とする「おすそわけ」とそうでないのがよくわかります。心を許した相手と単ににおしゃべりがしたいという状況の場合も同じです。コメントやいいね!がお返しともとれ、そのコメントやお返しによって、とうぜん距離は縮まります。もちろんこれはきちんと研究したわけではありませんが、私には都市型のつながりの形が現れているように感じます。「フェイスブックとおすそわけの法則」です。


そう考えるとどうも人が無意識下で求めている繋がりの欲求は、方法は違えどいつまでも変わらず普遍的であると感じます。

さてワークショップに来る人を観察していると、実は積極的に他人と近づく人もいれば、必ず距離を取ろうとする人がいます。確かに人はきちんと自身を吟味する孤独も必要なのです。静寂の中で、自信と向き合うことの出来る人は、個人の叫びに溢れた表現を見せてくれます。私も孤独は好きです。なにをするでもなくぼんやりといろいろ思考を巡らせたりするのが好きです。しかし人とのつながりがあり、我々は日々生きることができます。実はどこかでつながりがある安心感に支えられているからこそ人は孤独になれると思います。小説ロビンソンクルーソーもつながりの喜びをしっているからこそ、フライデーに会えるまで無人島での孤独に耐え抜いたのかもしれません。つながりの欲求は自信を活かし、その身を守る行為でも有り、反対に孤独の欲求は変化への欲求であるということでしょうか。

団体行動が全てではありません、形式では無く、つながることの必要性を身を持って感じることがまずは大切です。きっとそれこそ能力にあふれたそのつながりが人や地域を動かしていくことになることになると思います。

”地域の人達がつながりを持ち、自ら地域を活性化する”静岡の市民ダンサーはまさにそのコミュニティダンスの理想の展開だと感じます。そして私自身そこへ触れることができて嬉しく思っています。



ワークショップを振り返り、私自身の想いとは遠く、まだまだ導く力は足りておらずです。
なんと2日目のワークショップにおいて途中一人帰ってしまった80歳代の参加者がいました。その方は20年間社交ダンスをやっていたそうで、久しぶりに踊りたいと思ってきたそうです。その期待に応えることができず心中察すると申し訳なく思います・・。その方の中でおそらく何かが違ったと思います。最年配80歳代の方で、その方の躍動を見ることなくウォームアップ中静かに退場していきました。勉強したいと思います。


今回の刺激的な機会をいただけたことに、関係者のみなさまへ心より感謝を申し上げます。
ありがとうございました!

静岡応援していきますよ!!





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